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2017-08-02

毎日なにかを書くことは、それがブログであってもフロー的

ブログを毎日書き始めて、1ヶ月半になる。

毎朝1時間ほど考えごとをして、それでも足りなければ夜すこし考えを足して、このブログにアップする。なんてことはない作業のように思えていたけど、それなりに大変だなこりゃ、というのが感想だ。

気がつけばなにも考えていない、なにも感じていない、なにも見ていない自分がいる。スマホの通知にただhたすら反応するだけの毎日。そんな生活において、1日ひとつあたらしいことを考えるというのは、結構重労働だった。

そもそも最近ブログを毎日書き始めたのは、もっと自分自身目の解像度を上げたかったからだ。糸井重里さんも毎日今日のダーリンを書き、「嫌われる勇気」を書いた古賀史健さんもnoteに平日毎日ブログを書き、そしてひとりで多くの書籍を書く松浦弥太郎さんも著書「考えるコツ」で「毎日考える時間を2時間確保しなさい」と言う。

生産性の高い人、常に価値を生み続けている人は、その訓練として毎日なにかあたらしいことを考えている。それは大体、合っているんじゃないかな。すくなくとも僕が尊敬している情報発信者は、みんなたまたまそうなのだ。

彼らの足下に及ばないまでも毎日やってみて思ったことだが、どんどん自分がフロー化していく感覚がある。よく「Twitterはフロー型メディア、ブログはストック型メディア」と言われており、ブログを書いている以上ストック型の発信をしていると思っていた。それに、ストック型のメリットを享受するんだろうなとも思っていた。

※Twitterはタイムラインが存在するのでコンテンツがどんどん流れていく。一方ブログは一カ所にコンテンツが集積していく。という話。ブログみたいにコンテンツが一カ所に集まっていると、その人を理解しやすい。記事を読み返しやすいから。よろしければ、「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」を参照ください。

しかし、今のように毎日書いていると、それがブログで書いているであれなんであれ、フロー化していく感覚を覚えている。書いた記事も、Twitterで毎日朝か晩に流しているけど、1ツイートなんてどんどん速度を持って流れていくので、今日書いた記事は明日には読まれないし、どんどん、流れていく。しかし、「いま、この瞬間」に書いているのは確かだし、それはフォロワーさんにも認知いただいているようだ。

この記事がおもしろかったよね、あの人はあの記事の人だよね、という覚えられ方ではない気がする。きっと今の僕は「毎日なにか書き始めている人だよね」に近いかもしれない。タイムラインそのものがぼく、というか。

であれば、このブログなんかも、ブログとしての体裁がなくてもいいのかな、と思えてきた。例えば、noteみたいなソーシャルタイムラインの存在するブログみたいなものに鞚替えして、当然となっている毎日書く自分をフローそのものにするのもいいかもしれない。

いままではせっかく400記事くらい数年かけて書いてきたブログ資産捨てるの勿体ないなとか思っていたのだが、資産云々というかもはや個人としてアウトプットするなら、どうせフロー的になるんだし、だったらフロー的に書くことに集中するのもありかな、と。

※まあ、なんでこんなこと言い始めたかっていうと、昨日帰宅後にブログ書こうと思ったら、サーバーエラー起こしてすごいヤキモキさせられたからなんですけどね・・・。Wordpress、やはり管理が面倒臭い。

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