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2017-07-31

リアルの反対はバーチャルじゃなくて、反応なのかも

実は関西の実家からオカンが上京して、久々に我が家を偵察に来てくれた。

オカンは主婦歴40年である。そこらへんのビジネスパーソンより担当領域(オカンの場合は、家事や生活全般)で経験が豊富だ。一方、対する僕は圧倒的生活下手な、ただの20代後半の男性である。自身の専門領域でさえ経験は豊富とはいえない、しがない若者だ。

家事のプロから見れば、我が家は改善点だらけだったらしい。オカンは我が家に泊まったのだけど、もう朝6時半に起きては、まず今日の全体像を説明し、各問題点を指摘し、改善策を練って報告してくれた。

↑不満ではない。決して不満などではありません。もちろんです。

こうして次々とオカンと色々な話をしている間は、圧倒的現実感があった。オカンの話題が生活全般に渡るせいであったかもしれないけど、なにより、オカンというひとりの人と久々に向き合い、話を展開していくことは現実そのものだった。その現実感についていくのに必死で、毎日夜22時にはバタンキューだった。

一方、休日とはいえどオカンとの話の間に、ちょくちょく社内チャットツールやTwitterをチェックはしていた。しかし、そのときひどく違和感を感じたのだった。あれ?いつも通りスマホの通知チェックをしているだけなのに、遠い世界のように感じた。

山の手線外回りに乗り品川駅へ行く途中、「新幹線乗って帰るから、はやめに品川行っておいたほうが安心やな」と話すオカンを目の前にして、Twitterのタイムラインをチェックしたときに「なんだこれ」と感じた。

圧倒的に、現実感がなかったのだ。そのタイムラインには。

SNSが悪いわけでも、ぼくがフォローしたり、リストに追加して淡々と見つめている方々のツイートがおもしろくないわけじゃない。そうじゃなくて、タイムラインを見ている自分じゃなくて、スマホに反応して癖で見ている自分を発見してしまったのだった。

癖でスマホを見る、スマホの通知が気になってSlackを見る、Twitterをひらく。これはもう、ネット上での体験がバーチャルかどうかという話ですらなく、ただ反応しているだけ。

目の前のオカンとの会話には全集中力を注いで、いろいろと気付きもある。情報量が圧倒的に多い。しかし、自分がふとスマホを見ているときは、その内容を読んでいるんじゃなく、もはや反応でしかなかった。

結構ショックだった。ああ、移動中にスマホ見るの、やめようと思った。まあ通勤時間中にSlack見て大急ぎでレスしなきゃいけないことなんて数少ない。Twitterでつぶやくのも情報収集するのも、デスクトップPCの方が圧倒的に能率が良い。

2週間京都の山奥で瞑想修行したときは、ひたすら「反応を辞めなさい。ただ観察しなさい」と言われ続けた。それはもう気が狂うほどに。そんなこともすっかり忘れて、僕はただスマホへ反応するただの機械に成り下がっていたのだった。

最後に

みなさんもぜひ、一度自分のスマホへの態度を見返してみてください。特に移動時間。スマホを見ている、集中しているのではなく、ただ反応しているだけのことってありませんか?僕は大いに心当たりがあるので、当面は移動中にスマホいじるのは極力避けようと思う。

ほんとは以下の記事みたいに、スマホ完全に辞められたらいいのかもだけどなあ・・・。

【有料記事】スマホを捨てよ選択肢を減らそう(小野美由紀)

今日の一枚。近所に鯉がいた。久々に見たけど、相変わらず色鮮やかだった。なぜかピントは前の格子に合っています笑

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