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2017-07-24

感情なき消費なら、いらない。「なんとなく消費」をやめようと思ったはなし。

神農です。

日本に来てから毎週末は、どこかしら出掛けています。先週末は池袋の梟書茶房に行って2時間くらい眠りこけつつも蔵書を楽しみましたし、その後は写真の現像がてら原宿・竹下通りにも行きました。

梟書茶房とは、“Coffee Meets Books”をコンセプトにした、本屋さん兼コーヒー屋さん。仕掛け人はあのドトールコーヒー。気になってたんですよ、フィリピン居るときから。Webで話題になってましたからね。コーヒーも本も大好きな僕としては、行かないわけにはいきませんでした。

↑梟書茶房の入り口にある語り。こういうポエム、嫌いじゃないよ。

梟書房、けっこういろいろと蔵書があって楽しみました。

僕が手に取ったのは、こんな感じ。Webや本屋で見かけるものの、なかなかお金出して買うとまではいかなかった本達。「なんでもみてやろう」とか「電機羊はアンドロイドの夢を見るか」とか。

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は、冒頭のエレベーターについて主人公が考え巡らす場面が数ページ続いた時点で、おもわず入眠しました笑

↑なんだろう、いろいろな本はあるんですが、案外「なんじゃこりゃ」ばかりではない。ほどよい。

梟書店は奇抜な本ばかりでもなく、ほどよい難易度の書籍が揃っている感じ。下北沢のヴィレッジバンガードとまではいきませんが、発見のある書店であり、カフェでした。

こうやって、自分が興味あるかないかの瀬戸際にある商品に触れられるのは、東京ならではだなーと感じます。東南アジアは自然は素晴らしいですが、物質的な豊かさはやはり東京レベルの都市には劣ります。発見があるのは、やはり東京。

しかし、これはコインの裏表みたいなもので、弊害とまではいきませんが、きをつけなきゃなということはあります。それは、「なんとなく消費」です。

梟書房行ったあとも、お腹が減りまして、連れと昼ご飯に行ったんですね。Rettyで近隣にあるおいしいお店を探し、「おいしい蕎麦が食べたい」と連れがいうもんですから、蕎麦屋めがけて練り歩きました。

が、そこは迷宮・池袋駅。そのお店があるところまでたどり着けず、ついにはそこらへんにある蕎麦屋に入ったんです。店内の内装もなんというか安っぽいチェーンですらない感じ、駅構内によくある、なんでもない動機で仕方がなく入るようなお店。

これがやはり、大しておいしくなかった。月見天蕎麦、600円くらいはしたのですが、月見そもそも食べてる最中に消えてしまうし、蕎麦もふつう。あたりまえですよね、600円ですから。めちゃ安い。

ただね、正直いうと、600円でこれなら、自宅で材料買ってきて即席ラーメンと組み合わせてうまいラーメン食う方がよほど豊かだなと。600円って、それなりの材料費ですからね。ウィンナーも、野菜も、卵も買える。ああ、600円ここで払って蕎麦食うくらいなら、自炊したほうが満足度高いな、と感じてしまったのです。

それでも入ってしまう程度には、なんでもないところにもたくさんお店があるんですよね、東京。「ここにいきたい!」と強く惹かれるものでなくとも、ついつい発見して、はいってしまう。でも試してみると案外大したことない。むしろ、コスパ悪いとさえ思ってしまう。

そして連れと誓いました。「なんとなく消費、もうやめよう」と。糸井重里氏はかつて「無感情のつぶやきならいらない」と言いました。僕らも、「感情のない消費なら、いらない」と言いたい。

最後に

東京はおそろしい街です。感情がなくとも、なんとなあくで消費できてしまう。その金額が案外バカにならないので、頭も身体もつかわないと、あれよあれよとお金を浪費してしまいそうです。

逆に、感動するものにはお金と労力を惜しまず、生活しようと思いました。これも経験。

P.S なぜか日本にあるものはすべておいしいとさえ思っていましたが、全然そんなことないですね。やっぱ食べログやRettyで評価高いところはうまいし、そうでないそこらへんにある、金曜夜も土壇場で入れちゃうようなお店は大抵おいしくない。学びでした。

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