toggle
2017-07-22

ひとは自分が思う以上に、興味のあることにしか手を付けない。

神農です。

きのう、下北沢のヴィレッジヴァンガードに行った話を書きました。そして、また昨晩凝りもせずに行ってきました。

相変わらず本当にいろんなものがあるお店ですよ、下北のヴィレバンは。本だけでなく、チェキなど写真撮影にまつわるコーナーもあるし、多くは語りませんがエロの棚もあるし(というかそもそも店の前にTENGAが堂々と陳列されている)、なんだか本屋であり、おもちゃ屋であり、ひとことでは言い表せません。

が、色々店内を巡っているうちに、気がつけば、1度目に行った本棚や目にしたコーナーに何度も足を運んでいました。サブカルアート棚の横尾忠則の本がたくさん並ぶコーナーや、あとはよしもとばななのコーナーとか。

一方、一緒に行った連れは漫画コーナーをまじまじと見つめていまして、「あ、そうか、そういえばヴィレバンにも漫画コーナーあるんだ」とそこではじめて気がつきました。連れについていって、渡辺直美の本が並んでいる女性が自己肯定するためにあるような棚とかも(笑)、はじめて存在気付いたのです。

何が言いたいかというと、ほんとうに自分の興味があること以外には興味ないんだな、と。これは悪い意味で、です。

もちろん、自分の興味があることに忘我のごとく熱中できるのは、いいことだとは思うんですよ。僕はどちらかというとこのタイプらしい。大学時代も「あまりに目の前に熱中して、時折周りが見えていない」と視野が広い同期に揶揄されたことは、少なくありませんでした。アラサーになって、このくらいの自己理解はあります。

しかし、もっと悪く言えば、興味のないことには一切目もくれないということです。しかも、拍車をかけるように、いまのインターネット、というかSNSやECサイトってそうできているじゃありませんか。Amazonは「それ買ったなら、これ欲しいだろ?」と興味に忠実にレコメンドしてきます。

TwitterなどのSNSは、基本的に自分の都合の良い話しか流れてきません。(そらそうだ、自分の次王の悪い情報流すアカウントはフォローしないわけですから)

そこでふと思ったのです。ああ、このままじゃ自分の知っている狭い領域のことだけ見て、人生終えることになるんだろうな、と。

今日も連れと外出するときに、「せっかくだし、秋葉のメイドカフェにでも行ってみる?」との提案をもらいました。しかし、無意識のレベルで「いやあ、今日はその気分じゃないんだよなあ」と拒否している自分がいました。

いきゃあいいじゃないですか、僕よ。僕はメイドカフェ行ったことがないですが、一度でも行かないとメイドカフェは語れませんし、一度でも行けば人生経験になるでしょう。なのに多少の恥らいと、アキバ遠いな・・・という面倒くささで、なにかあるかもしれない体験をせずにみすみす逃しました。

これ、それなりにゆゆしき自体だし、案外他の人もハマっている話なんじゃないかと思いました。興味って、案外狭いんですよね。そして興味を持っていること以外は、予想以上に情報が入ってきません。

新宿の紀伊國屋に行っても、英語参考書と歴史書、エッセイ、小説のコーナーには足を運びますが、海外文学のコーナーには一度も行ったことありません。

ひとはおどろくほどに、自分の興味のうちにないことは、無意識に除いてしてしまっています。自分の興味を掘り下げるのはたいせつなことですが、同時に、興味ないことにも食わず嫌いせずに、取り組んでいこうと思います。

今日の一枚。下北ヴィレバンの一角。ここらへんの棚、僕はもともと興味のない本が多いのですが、一度しらみつぶしに読んでみようかな。

関連記事