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2017-07-06

煽らない、言い切らないという態度は、考えるということ

神農です。今朝、こんなツイートを目にしました。

最近ふわふわ感じていたことを言い当てられた気分なので、一筆とります。これ、ほんとそうだと思うんですよ。

煽られ慣れると、煽られて動くひとに成り下がってしまう

以前、上の記事でも書きましたが、日本に来てはや2ヶ月目、「いやーみんな人を煽りたがるなー」と感じます。屋外広告なんて基本的に煽りだし、「世の中はこうなる!だから、これを買おう」と言い切って煽っている。 

煽る人って、大きくわけて2パターンに見えます。煽れば儲かるか、もしくは、自分の方に注目を集めたいか。Twitterで利害関係ないのに煽りたがる人は、後者でしょうし、ビジネスなら前者です。

 

ただ、言い切りの言動って、たしかに不思議な魔力があるんですよね。そして、そういう言い切る人が好きなひとたちって、「誰かに言い切ってほしい」感 is ある。

ネットでも、これはプライベートもそうだと思います。語弊をおそれずに言うならば、特に自分に自信がない人達はそういうきらいがあります。なんか、言い切ってもらうことに慣れている節さえ、感じます。

だからか、言い切る人の周りには、子分というか、だれかに言い切ってほしい人達が集まるようです。最近のオンラインサロンも、Facebookのコメント欄も、そう。それなりに良い歳した大人が、言い切る人達の周囲に群がっている様相が見えます。

思うに、「煽らない」「言い切らない」って、めちゃくちゃ頭使うんです。

煽らない、言い切らない、でもこうなんじゃないかなと言うこと。言い切らないでおこうと思うと、自分の中でぽっと出の考えの反対意見も考えなきゃいけないわけです。

だってね、多くの物事は実際グレーゾーンに着地します。「急いては事をし損じる」という言葉もあれば、間反対の「もしくは 先んずれば人を制す」もあります。新卒ベンチャー入社が正しいという人もいれば、新卒大企業がいいという人もいます。

クソな上司の言うことなんて一切きかずに、自分のやりたいことをやれという人もいるかもしれませんし、僕のように「新人は黙って3年働け」という人もいるでしょう。

言い切ろうと思えば、追認できる材料を探せばいいわけで。「自分がこう思う理由、この意見がただしい理由」をどこかから持ってくれば、成り立ってしまう。社会人になって感じたことですが、自己正当化って、本当に楽だなーと。

僕は、「煽らない」「言い切らない」態度って、ある種の自己否定をはらんでいると思います。

海外就職も、リモートワークでフリーランスも、起業も、そこには必ず真逆の話もあるわけで、それは自己否定の要素を往々にして含んでいます。そこから目を背ければ、自己正当化なんて簡単です。

簡単に自分がただしいと思わないこと、むずかしいですよね。

最後に糸井重里氏の言葉を引用します。

 −−極端や過激さに走らずに、大事なことを考えることは難しいと思います。糸井さんなりの方法はありますか。

 糸井さん 「ほんとうかな」って聞くだけです、自分に。「ほんとうにそう思う」って他人にも聞くけど、自分にもものすごく聞くようにしている。ちっちゃいことでも「ほんとうかな」って問うようにしています。そうするとね「ほんとうじゃない」ことが結構ある。

キーパーソンインタビュー 糸井重里さん・後編 「ほんとうかな」と自問する力

むずかしい、ほんとうにむずかしいですが、やんなきゃなあ。

最後に

煽られず、煽らなくてもいいような、情報発信活動ってできないものかな、とふわふわ感上げながら日々このブログを書いています。

一応、このブログで書いていることは、自分の経験と考えから、こうなんじゃないかな、と思うことを書いているつもりです。

ですが、「おい、簡単に煽るんじゃないぞ、考えろよ」という自分に対する姿勢は、今後も崩してはいけないなとツイートを見て、感じました。まる。

 

 

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