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2017-06-30

わかりやすいものはすぐ飽きる。わかりにくいものは息が長い

先日、連れの紹介で男性エッセイスト・穂村弘の「野良猫を尊敬した日」をすこしだけ読ませてもらいました。

かねてより、穂村弘をおすすめしてもらっていました。しかし一度別の本を読んだときに、あまりの内容のなさに(失礼!)驚き呆れたのです。

そのときから敬遠していたのですが、この野良猫を尊敬した日を呼んだ時、おお、悪くないかも、と思えました。

僕が読んだ章は「できない人」というタイトルの章でした。内容は、面倒で今も家にインターネットが開通していない話から、大学生時代もガスコンロを置いてもガスを使わずに済ませてしまうくらい、なんというか、生活下手というかなんというか(笑)いわゆるエッセイでした。

中身は相変わらずないですし、ビジネス書のように、読んでなにかができる気になった感じも皆無です。しかし、クスッとすることはあるし、「なんでやねん!」と突っ込みたくなる。じわじわ来る感じがすごい。たのしみかたを読者側に委ねられている気がします。

そこで考えたのですが、こういう、「わかりにくいもの」もいいなあと。というか、最近わかりやすいもので溢れていないか?ということです。

わかりやすいものは一瞬で消費される

「引っ越しを攻略する●●つの方法」「就活生が読むべきビジネス書〇

選!」だとか、SNSにも検索エンジン上でも、とてもターゲットもわかりやすく、ベネフィットもわかりやすい文章が溢れています。タイトルを見ただけで、なにが書いてあるかわかってしまう、なにを得られるかがわかってしまう。そんなものが圧倒的に多い。

それが、高速で流れていくSNS上のタイムラインの上をどんどん、流れていく。

正しい正しくないでいえば、お金をもらって記事を書く側は、極めてわかりやすく文章を書かねばなりません。だからそれは正しい、というか、そうしなければいけない。アフィリエイト収入で食っていこうと思えば、そうするしかありませんし、集客しようとすれば、基本はこれしか手段はありません。

しかし、イチ消費者としては、わかりやすい記事に飽きてきたなあと感じています。咀嚼する深さも、時間もなく、ただただわかりやすい。一瞬で消費できてしまいます。そして次の記事へ移る。

なんだか、そういう消費活動に飽きてきたなあというのが、正直なところです。(仕事ではそういう記事書きますけどね、仕事ですから)

余談ですが、人の注意を引こうとすると、わかりやすく、過激なものになりやすいんですね。というか、情報発信者はみんなその道を通ってきている気がします。

炎上なんかは、そういう承認欲求、自己顕示欲求が転んだときにおきますよね。「おい、こっちみろよ!」と注意を引きたいときに、起きる。

わかりそうでわからないものは、息が長い。それは細部に宿る。

そんなわかりやすすぎるコンテンツに対して、息が長いのは、わかりそうでわからないものです。

例えば、最近Newspicksでホリエモンと対談していた高城剛氏もその一例じゃないでしょうか。わかるようで、わからない。怪しい、不思議。でも話している内容は細部に渡り、圧倒的な説得力がある。何度も読み返してしまうような、不思議な人です。

【高城×堀江】コロラド。秋葉原。松尾芭蕉。ヨガ。個人主義

彼の専門分野も多岐に渡っていることも、わかるようでわからない一因でしょう。ドローン、マクロビ、ヨガ、写真撮影、情報発信、海外旅行、ノマド、南の島etc…

明快に、スパーン!と爽快な発言をされるんですが、なぜか、不思議さ、怪しさが残るんです。彼の文章は。意図的にやっていることだと思うんですけどね。

あと、ほぼ日株式会社代表の糸井重里さんの話もそうです。文章自体はだれにでもわかるように平易に書いてあるんですが、いくらでも解釈のしようがあったり、「わかった!」というほどのわかりやすさがあるというよりは、じわあと読後感があるような文章を書きますし、話します。

「面白い」をビジネスにする方法:糸井重里さん

この記事もわかりやすいのだけど、全部理解しきれるわけではないというか。本質的で難解なことを言っているんですけど、ものすごく平易だというか。煽ることもなく、注意を引こうという俗っぽいものもなく、ただ淡々と発信されている印象があります。

高城剛さんも、糸井さんも、ほぼ日も、非常に息が長い。10年以上は人々に愛されているコンテンツです。その両者の背後には、圧倒的に経験した量、考えた量があって、それが言葉の端々ににじみ出ているのではないでしょうか。

僕は、このわかるようでわからない不思議さは、細部にあると考えています。高城氏も糸井氏も、様々な分野をひとつひとつ考え抜いて、ここまで来ている。そこには細部、ディテールがあるのです。

読者側はそんなの追い切れない。しかし、彼らの発言からはどうしてもその細部が滲み出る。ひとつの話をしていても、とても深い思考と経験が裏にあるし、話しているうちに別の分野の話にもなっている。そうやって読者に不思議な読後感を感じさせているのではないでしょうか。

最後に

そんなことを考えていて、どちらかといえば、僕も「わかりにくい人」になりたいなあと思いました。まあその前にわかりやすいひとにならなきゃいけないんでしょうけどね。今日はここまで。

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