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2017-06-18

ディテールを知るということは、長い歴史の一部になるうれしさを感じられるようになること

昨日、日本に帰ってきてからはじめて、美術館に行ってきました。今回は、ずーっと気になっていた「バベルの塔」展

結論からいえば、めちゃくちゃよかったです。16世紀ネーデルランド(旧神聖ローマ帝国の領地、現在のベルギーとオランダがある地域)の画家の歴史、画題の変遷もよかったですが、なにより「バベルの塔」がすばらしかった。

バベルの塔とは、旧約聖書の創世記11章に書かれている神話です。長いですが、引用します。

全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[3]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。

そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。

それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。-「創世記」11章1-9節

バベルの塔って、見たことがない人はいないでしょう。ジャレド・ダイヤモンド著「文明崩壊」の表紙にもなっていますし、上記の一節は非常にドラマチックな神話としてよく知られています。

が、しかし。バベルの塔の本当のすごさは、そのディテールにありました。

展覧会公式ページより引用。

実際見てみると想像を超えていて理解できないくらいの驚きがありますが、こんな劇的な構図なのに、デディテールがめちゃくちゃ細かい。画自体は大して大きくないんです。

一見、構図以外には目がいかない。しかし、バベル塔にはめちゃくちゃ小さく、しかも精微に、建設中の塔に暮らし働く人や、建設現場のやぐらなどが描かれています。

あまりに細かく書かれていたので、展覧会内では、拡大複製したコピーも飾られていて、そこでやっと視認できるレベルでした。

やっぱり多くの人の理解の範疇を越えていたようで、拡大コピーとオリジナルには人垣ができていました。バベルの塔が書かれたのは16世紀ですが、500年後に生きる僕らが、理解しようとしても理解できないようなものを、しかも想像力だけで書いていた、というのがこれまた理解の範疇を超えています(笑)

僕はバベルの塔を見ていて、不思議な気分になりました。きっと100年前に生きた人も、200年前に生きた人も、更に今から500年語に生きた人々が見たときも、さまざまな感覚に陥り、考えるのだろうなと。なんだか、とてもうれしくなってしまったのです。

*    *  * 

こういうことは、実は以前にもありました。日本に来てから仕事で使うようにと、8万円(!)のスーツと3万円(!!)の革靴を買いました。こんなことはうまれてはじめてで、ほんとうにそれだけかける価値はあるのか?と若干の猜疑心をデニムのポケットに入れて、お店に向かったのでした。

まずスーツに関しては、僕がしらなかったスーツのディテールがたくさんありました。100%ウールの歴史、生地のストーリー、カフスが3つか、4つかで違う見え方、ステッチの有無の意味・・・

佐藤可士和プロデュース「Difference」というオーダースーツのお店で見繕ってもらったのですが、テーラーさんが話すその話に、思わずぐいぐい引っ張られ、きがつけば、ガンガンノートにメモしている自分がいました。

革靴も、お店で見てみると全然光沢や、質感が違うんですね。良いものは、とてもきめ細かいんです。光があたったとき、なだらかで上品なグラデーションがあって、なんだろう、本当に人間はこの近代以降の数百年間、この感じを愛でてきたのだなとしみじみしました。

余談ですが、こういうディテールに詳しくなった途端に、いままで気にしたこともなかった、街行くサラリーマンの靴とスーツが見えるようになってきました。なんというか、やっぱしわしわのスーツとホコリだらけの革靴身につけていると、残念な気持ちになる。

今までは、「スーツなんてクソ暑いだけじゃん、アジアでは無理」なんて考える前に拒絶していましたが、なるほど、ディテールを知ると、ディテールが見えてしまうのだなと思いました。

*    *  * 

なにかのディテールを知るということは、多くの人が関わり、知り、感じ、考えて来たその歴史に触れ、一部になることなのだと思いました。

バベルの塔という画も、スーツも、革靴でさえも、歴史があります。もしかしたら、机だって、椅子だって、都市そのものだって、同じようなものなのかもしれません。

なにげなくふわっと流していることも、細部を知ることで、その重さを感じることができる。バベルの塔自体は実在しないコンセプトですが、もし実在しでいれば、塔を建設する人間達も、完成するまでの歴史の一部になるうれしさを感じながらはたらいていたのではないでしょうか。

それって、非常に豊かなことだなあ、と思いました。

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