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2017-06-17

新人は「頼まれる人」になりなさい。と23歳のころの自分に言いたい。

もうすぐ7月ですね。新入社員が入社して、3ヶ月が経過する頃。新入社員、だとか新卒だとか、そういうワードを目にすると、思わず自分のこれまでの職務経験を振り返ってしまいます。

ああ、本当に20代中盤くらいまでの自分は、バカで、思慮が浅くて、客観的に自己を見られていない人材だったなあ。そんな風に思うわけです。

いやいや、そんな卑下しなくても生きていけるよ、と人はいうかもしれません。しかし、たぶん、本当にバカでした。

3年くらい前までは、誰からも「あいつは我が強い」と言われるような性格でした。その当時は、「なにが我が強いだよ、そんなの関係ねえよ」と意味不明なことをのたまっていたきがしますが、今になると思います。「ああ、ある程度素直になれてよかった」と。

なぜかというと、「信用」というものの存在に、少なからず気付けたからです。

無能なくせに我だけ強かった私の新人時代

というのも、そもそも僕はまだ28歳のくせして今の会社で3社目(!)という人材エージェントも不信感を抱くであろう、ただの社会不適合者なのですが、新入社員・新人としての立場であることがほとんどでした。

いま在籍しているサウスピークという会社では、創業4年にして社歴3年というなぜか最古参社員になってしまいました。しかし、現在以外は全部新人としてのキャリアだったのです。

そんな超新人の際、「我が強い」といわれていたのは、「人の指示を聞いても100%やりきらず、自分がやりたいことをしようとする。それで不満を溜める」というような人間だったからでしょう。

例えば新卒入社した会社では、入社数日で「社員の質を上げて組織を強くする」的な企画提案を社長にして、満足げにしていた気がします。あのときは、本当に得意げでした。

しかし、よく考えれば、採用してくれたのは社長権限であっても、一緒に働くのは他の社員です。他の社員からすれば、「あの人、まだなにもできないし能力もないのに、社内の改善提案とかして、なんじゃそりゃ」という想いだったことは推し量るべきところです。

そう、新人の僕は信用も能力もないくせに、「この会社はここがいけない」と考えていたのです。

もちろん、社長からは「フレッシュな考えであたらしいアイデアを出して欲しい」的なことを言われていた気がします。(さすがにもうあんまり覚えていないが、大体社長はそういうことを言うものです)

しかし、一緒に仕事をするのは社長ではありません。職場の同僚や上司、先輩社員です。

結果、我が強い、扱いづらいと認識され、自分がやりたい仕事は強引にやらせてもらいましたが、あまり周囲からの理解は得られず、孤立していたんじゃないかな、と思います。(その後は早々に退職し、インドネシアに渡航してしまいました。)

仕事は人と人との間に、「信用」が生まれてはじめて成立する

そうして、なんとかいまは、「大人になったね」「人が変わったね」「素直になったね」と近しい人には言っていただけるようになりました。いろいろな人間関係も、明らかに昔よりうまくいくようになりました。

僕は先述したような悲惨な新人経験を通じて、思ったことがあります。それは、「頼まれる人になりたいな」ということでした。

仕事は、人と人の間に「信用」という概念が介して、はじめて成立するものです。仕事には、「頼む側」「頼まれる側」の2者が存在します。それは言い換えれば、上司や同僚と、自分、でしょうか。その逆もまた然りです。

自分が新人の場合は、圧倒的に「頼まれる側」であることが多いでしょう。僕は今までそうでした。今でも「頼む側」である自分と、「頼まれる側」である自分が両方います。

「頼む側」をやれるようになって思ったのは、「頼んだことやってくれない人には、頼みたくなくなるな」ということです。(ここテストに出ます。)

だって、せっかく頼んでるし、「頼まれる側」も了承しているのにもかかわらず、やってくれない。そんなもん、もう頼まねえよ!となるに決まっています。

一方、どういう人に頼みたいかというと、頼んだことをきっちりやってくれる人です。頼んだことの期待値以上のことをやってくれたら、それはもう言うことありません。絶対にもういちど頼みたくなります。

これ、どういう構造かというと、「頼む側」の信用を「頼まれる側」が得ているのです。「頼まれる側」が頼まれたことをやりきることで、信用という価値を返しています。信用した「頼む側」は、うれしいので、どんどん仕事を任せるようになる。

これって、世の条理だと思うのです。

新人には、信用がない。だったら、できることは一刻もはやく信用を得ること

この話の大前提があります。それは、新人には総じて信用がない、ということです。

新入社員には信用がないのです。なぜなら、実績がないからです。これが30歳過ぎていれば、むしろ採用面接で「なにができるの?」と聞かれ、なにも答えられなければ入社もできません。ですので、この話は20代の若手についてです。(そう、僕みたいな人です)

採用はされたことでしょう。それは、書類と多少の会話を材料に、こいつならやれるだろう、という判断がなされたという話。それと、職場で実務に携わりはじめるということは、大きく違うのです。

職場では、信用が交換されています。新人に仕事を任せるのは、職場の先輩、直属の上司です。彼らは新人のことをつぶさに観察しています。この人はどんな仕事ならできるのか?

なぜなら、職場は大抵、忙しいです。弊社もそうですが、手が足りない。あたらしいことをしよう!という話になると大抵、「リソースどうする?誰がやんの?」という話に必ずなります。

一刻もはやく仕事を任せたい、というのが先輩、上司の本音でしょう。助けて欲しい、手伝って欲しい。仲間になってほしい。井戸の底から響くような声で助けを求めているのが、既存社員です笑

しかし、信用がないわけです。任せられないわけなのです。そもそも、任せてもできない可能性があるわけです。

新人側としては、一刻もはやく仕事をしたい、経験を積みたい。スキルアップしたい。やりたいことをやれるようになりたい、わけです。

であれば、「頼まれる側」である新人がやれるのは、全力で頼まれ事を完遂することしかないのではないでしょうか。

23歳のときの自分がそこにいたら、キャッチボールでもしながら、穏やかに話してあげたいです。頼まれ事は、全力でやるんだよ、と。お前の意見なんて今は誰も聞かないよ、だって信用ないじゃん、と。

最後に

「一刻も早く、頼まれる人になりなさい」。

このブログはそういえば、実は「23歳のときの自分に伝えたかったこと」という副題がついているのですが、ああ、まさにこれがいいたいなあと朝から感じたので、書きました。

これが、むずかしいんですよね、ほんとに。特に20代中盤くらいまでは、このむずかしさを感じることもなしに、気付かない人って、別に少なくもないんじゃないでしょうか。

僕は、それに気付くのにほんとうに時間がかかりました。しかし、気付けて、しあわせです。今は昔なんかに比べたら、全然仕事を頼んでもらっている状態ですし、やれば評価してもらえるし、仕事がとてもたのしいのです。そう、仕事は厳しいですが、たのしいはずなのです。本来。

ということで、新入社員の皆様方には肝にぶったたき込んでいただきたい個人的教訓でした。まる。

 

 

 

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