toggle
2017-05-01

ブログは書斎みたいなもの


「みみずくは黄昏に飛び立つ」という川上未映子さんが村上春樹氏に作家として、いち読者としてインタビューした濃厚な本を読んだ。

書斎にはものすごい数のレコード。巨大なスピーカーには金属製の大きなハリセンみたいなものがついていて、何にも知らないわたしだけれど、その佇まいからして「きっとすごいやつなんだろうな」という感じがすごくした。

新タイトルをリリースすればそれだけで数十万部のプレミアムオーダーが入るほどの名作家・村上春樹の書斎かあ。趣味で仕事で、文章を書くことに少しでも関わる人に、「書斎っていいよなあ」と思ったことがない人なんていないんじゃないか?(と、勝手に思っている)

書斎とは、「個人の家で、読書や書きものなどをするための部屋」らしい。(精選版日本国語大辞典より)しかし、現実家に書斎を置くようなスペースは多くの人にはないだろうし、というかそもそもあんまり定住したくない自分なんかはとてもじゃないけど現実的ではない。

もちろん、僕も6月以降久々に東京で家を借りることになるし、どうやら日本は2年契約(長すぎる、最低3ヶ月契約くらいにしてほしい。気軽に引っ越ししたい)らしいので、ひとつの街にそれなりの期間留まることになりそうだ。とはいえ、都内でたかが1人暮らしするのに必要以上にお金をかけたくないし、書斎なんぞ作ろうものなら、元々重い腰も更に重くなって、そのうちぎっくり腰にもなって日本から出られなくなるかもしれない。

そこで、ふと思った。ブログって書斎みたいだ。

久々にブログを書き始めて思うのは、「やっぱりブログになにかを書こうと思うと、なにがなんでも知恵を出したい」と思うということ。そのために、時間を作って考える。日々、仕事のこと、日常のことで思いついたことは紙に書いたりして考えていたのだけど、「ブログ」という「サイズの決まった知恵、アイデア」を生み出そうとした方が考えの質が高くなる気がする。

なんとなく紙の上で考え始めたことって、それを喫緊で世に出すことがないから、収斂していかないのだ。発散してしまい、発散しっぱなし。サイズが決まらない考えをほぼ日手帳などに残してはいるけど、どこにもアウトプットの場がないと、それは収斂しないままで、まるで味噌汁の中のお味噌のように形が決まらない。

しかも、「ブログになんか書こう」と思うだけで、自分の表現の場にドアを開けて入るだけで、「考えるモード」になる。これって、書斎そのものじゃないか。

ひとりひと部屋のブログ書斎

Webの仕事をしている人も、そうでない人も、このブログという書斎を持っていてもいいんじゃないかなあとさえ思えてきた。ブログっていったって、なにもみんながみんな、お役立ち情報を書かなければいけないわけじゃない。むしろ、僕は個人ブログに「○○するためのたったひとつの方法」などと情報記事を書く気概ももう、ない。(3,4年前ならあったかもしれない)

日々の生活から、絞り出した知恵を淡々と書く場所としての書斎。僕は結構静かに運営されている個人ブログを見るのが好きで、最近だとThe Fragmentsなんかお気に入り。最近あまり更新されていないようだけど、ブログ主の内省がにじみ出るようで、人の人生を追体験しているように感じられる。

その人の人生がにじみ出るようなブログという名の書斎。できれば実名がいいんじゃないかな。お試しあれ。


関連記事