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2017-05-01

俺はこういう人だ!と決めつけているのは、他でもない、自分だ。


フィリピン・ブスアンガ島の夕陽。まんまる綺麗な夕陽でした。

ここ最近、「ブログ読んでました!(過去形)」と言ってくださる方に出会う機会に恵まれている。なぜ過去形かというと、僕がまともにブログを頻繁に更新していたのは、思い返せばもう3年以上前だからだ。それ以降は、仕事が忙しくなったり、仕事の性質上言ってはいけないことが増えたり、そもそも忙しすぎてもうそれどころではなかったりと、書いたとしても不定期であった。

で、大抵そんな以前ブログを読んでくださっていた方の中の「わたし」は、「海外就職の人」というタグ付けがされている。去年末もバンコクに取材にいった際、「もう多くの人にとっては、かんちゃん(私のあだ名です)は海外就職の人だもんね」とかねてよりTwitterで繋がっている知人に言われた。

3年前からブログを書けなくなったのは、「わたしはこういう人である」というイメージを過度に意識しすぎていたからかもしれない、と近頃思うようになってきた。もちろん、このブログは海外就職ブログとして始めたものだったし、最初の志は「海外就職したものの、あまりにも海外で働いている人の話が足りない。だったら俺が書いてやろう!」というものだった。あまりに意識が高すぎて燃えたり燃やされたり、ときにはリアル世界でも色々あったりしたのだが、ある意味その頃は楽だった。自分のなりたいイメージと、周囲のイメージにそう相違はなかったからだ。

あ、説明を忘れていた。僕は個人がブログを書くことは、品質に関係なく、いろんなメリットがあると感じている。好きを発信することは日常が輝き出す効能があるし、ブログを日々書いているだけでも個人への信用は積み重なる。なにより、書き手はたのしい。だから、できる限り仕事とは関係なく、個人のブログは更新したいという人です。

しかし、3年前にフィリピンに移住してきてから、仕事上で海外就職に関わることが一時的になくなった。2年間くらいかな、そういう時期が続いたのだ。当時、自意識の上では「海外就職というタグがついたわたし」が存在していた。なのに、インプットとして海外就職に関連したサムシングがない。そうこうしていくうちに月日は流れ、そもそも個人的に海外就職も海外移住も、それまで以上に日常になっていった。「日常化」した日常は、目の解像度を上げないとブログに昇華できない。

そこで、実は今度6年ぶり?くらいに日本、東京に移住するということで、改めて自分と向き合ってみた。すると、「別に周囲が海外就職の人だと思おうがなんだろうが、よくないか?」という吹っ切れに達したのだった。要は、「おれはこういう人だ!」と決めつけていたこと、その自意識が個人としてなにかを書くことへのハードルなのであって、問題は他人にはなかったのだ。どんなことでも、最後の最後は自分なんだな、と思った次第であった。

「おれは何者でもないし、別にだれだっていい」。そんなことにふと気付いてから、肩の荷が下り、少し自由になった気がする。

※もちろん、現在仕事のひとつとして海外就職される方々のサポートをさせていただいている。仕事自体は継続します。

たぶん、こういう吹っ切れ方がしたのも、「働く、住む場所を抜本的に変える」という契機があったからではないか、とも考えている。人が変わるには、住む場所を変えるのが一番有効だ。(と、高城剛氏なんかが言っていたような気がするし、なんか微妙に違うような気もする。)フィリピンには3年間住んだ。社会人になってから3年以上同じ場所にいたことがない社会不適合な自分としては上出来だし、それを受け入れてくれた会社の皆様に感謝している。ここらへんの話は、また別でちゃんと書こう。

実は、こうしてなんでもないブログを書こうと思うようになったのも、古賀史建さんがとても伸び伸びと毎日noteを書いているのを拝見したから、というのもある。

たこやきを食べた話

この記事とか僕最高だと思うんですけど、いかがでしょうか?勝手に古賀さんに感謝して、この記事を締めくくります。リハビリ、リハビリ。また明日。


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