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2017-02-16

想像力には、身体という器が伴う

神農です。マレーシア滞在も今日をふくめて、残り4日。

ひとつの国に2週間もいると、その国に住んでいる人が感じるであろう感覚を、少しずつお裾分けしてもらえるようになってきます。最初は目新しい場所でまるで観光地のような感覚であったマレーシア・クアラルンプールも、「住まい」のある場所になってきたように感じます。

街を歩いていても、夜遅くにシーシャバーで水煙草を吸っているエキゾチックな集団がいたり、きっと旅行できたであろう南アフリカっぽい若者のあつまりがたむろしていたり、中華系マレーシア人であろう仕事帰りの女性が、足早に帰路についているのがよく見えます。これが、マレーシア就職者の方々が口々にいう、「違い」のある光景なのかな、と思ったり。

昨日は話を伺ったマレーシア就職された方の話もとても興味深いものでした。彼は、「自分は海外でも生きていけるんだ、そういう道があるんだということを知ったから、自分の人生の分母が大きくなって楽になった」と話していました。彼の話では、日本に生まれて日本にいるのは、1/1である。みんな1/1でしか生きられないと思い込んでいるから、辛くても自分を追い込んでしまう。しかし、今ならアジアで日本人というアイデンティティと能力を活かせば、働き場所はある。分母は実は大きいということに気付くことが大切なのでは?と。

興味深いのは、彼は就職前に、体験的に「分母は大きいのかもしれない」と知ったということ。彼は以前は海外なんて無縁の人生を送っていたそうです。しかしたまたま新人時代に海外出張を命じられて、オーストラリアやアジアで1ヶ月半暮らして働くことになったそうです。そこで意外と英語が通じること、外国人が案外仕事に対して緩いこと(笑)、現地オフィスで働く若い日本人がとても優秀だったことを見て、「ああ、こんな世界があるんだ」と知ったとか。

とても単純ですが、やっぱり体験の価値というのはあるんだなあと思いました。彼はたぶん、あの新人時代の海外出張がなかったら、今マレーシアで働いていないのではないでしょうか。

人間の想像力って、身体という器が伴うものなんじゃないでしょうか。僕もマレーシアに腰を据えて滞在しているからこそ、今度海外就職を検討される方に体験的にマレーシア就職について語れる自信がつきました。それはもう、マレーシア就職したことがない人の中では一番マレーシア就職について語れるんじゃないか、とさえ思います。

実際に現地へ行く、そこで暮らしはたらく人に話を聞く。これから海外就職を考える人達も、そういうことはやってもいいんじゃないかなと思いました。想像している以上に気付くことが多いはずです。

クアラルンプールのショッピングモール、PavilionからSuria KLCCという最大のショッピングモールへの連絡通路には、中国系スマホメーカーOppoの広告が大量にありました。日本にどれくらい進出しているかは知りませんが、アジアの大都市では今こうなっていますよ、という例。この光景も、一度見て欲しいなあ。iphoneじゃないんですよ。

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