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2017-02-09

「日本を良さを知ってもらいたい」ということと、「現地のひとに知ってもらいたい」は両方大事


「良いものだからって、売れるわけじゃないことを全くわからずに、大金を投じたあるプロジェクトが、いま大失敗なんですよ。クアラルンプールで。」昨日お会いした方は言いました。「大失敗ですよ。きっとマレーシアでは高いものでも売れているという情報だけをベースにして企画したんでしょうね。」どうやらとある日系大手B to C企業が官民共同プロジェクトとしてKL市内に出店したとあるお店が、全然流行ってないらしい。

「現地の人にも話を聴いたら、あれはミュージアムだよね(笑)と皮肉を言われました」どうやら1万円のメロンを販売するなどの高価格・高付加価値帯商品を扱っているとのこと。僕はまだ行ったことがなかったのですが、なにしろ店内のBGMまでセンスがないらしい。マレーシアの人なら誰もしらない、日本を感じるかどうかもわからないBGMをエゴで流し、日本在住日本人ですら買わないような高い商品だけが陳列されている。要は「日本ってこんなにすごいんだぜ!」展に成り下がっていると。

ああ、そんなことって未だにあるんだな。彼は続けます。「良いものだからって売れるわけじゃないじゃないですか。たとえば、今治タオルだって良いタオルですけど、東南アジアでは売れないかもしれませんよね。だって、タオルなんて数回洗濯しただけでバリバリになるし(笑)」「そこは洗濯機メーカーや洗剤メーカーと協業して企画しないとどうもならないんですよ。現地を知らないって、そういうことをしてしまうっていうことですよね」思わず、ため息が出ました。

確かに、そうです。ぼくもオキニの白Tシャツがありまして、夏でも風合いが涼しい割に、頑丈で洗濯してもそうは伸びないような造りの白T。東京・青山の白T専門店で購入したもので、オキニすぎてその場で8着購入しました。いきおいフィリピンに帰国したものの、ハウスキーピングのおばちゃんに洗濯依頼したら、1着がもう伸びてしまって、かつ風合いのある色が真っ白になってしまったんですよね。ああ、そうだここはフィリピンだった…としょげましたが、良いTシャツですらこうなることもあります。

海外で働いていると、自分が現地で生活をしなきゃいけないし、現地のモノを使う必要があります。現地の光景も見える、一緒に働いている人達の生活も目に見えます。そうなると、こういうことってよくあるし、だからこそ「日本のいいものだから売れる」なんて思えないんですよね。それと、ニーズがあることとは別だぞ、と。

自己表出と指示表出の交差点

それに、この話ってもっと言うと、企画側に自己表出があればもっとマシなものになったんじゃないでしょうか。

つまり、自己表出というのは

「あーっ!」とか「痛い!」とか、

体内から出てくる音のようなものです。

意味を厳密に捉えるものじゃなくて、

溜まっていた沈黙が凝縮されて形になるのを

「自己表出」というふうに名付けたわけです。

それと、機能をもとにした価値が「指示表出」です。

いま、僕が手にしているものは

誰が見ても茶碗ですが、

茶碗の定義とは何かというと、辞書に書いてあって、

そのものを指示しているわけですね。

自己表出と指示表出の交差するところに芸術がある。-言葉をずっと観察している

糸井重里氏は吉本隆明氏の言葉を引用していました。彼は、「「指示表出」だけでも人はしゃべれるんです。だけど、「自己表出」の部分がないと感動が生まれない、美が生まれない。」といいます。

きっと、どこかの国に日本のものを送りだしたいとき、「日本の良いものを現地の人にも味わってもらいたい」という自己表出があったとしましょう。もしかしたら冒頭の例の企画者にもあったのかもしれません。しかし、そこには「現地の人に」という目的語が抜けている。もし、「日本のモノを」「現地の人に」というふたつの要素が、企画者側の自己表出として存在していれば、こんなことにはなっていない可能性があるな、と感じるのです。両方大事だと思うんですね。

その意味では、海外就職という経験は両方持ちうる経験だろうな、とも考えました。海外で働くと現地の人に愛憎入り乱れるものですが(笑)、それが大事なんですよね。自分で選んで現地へ足を運び、現地の人と日本人というアイデンティティを持って仕事をする。おそらく、海外就職されている人が持っているであろう感覚を、とある日系大手B to C企業の中の人は持っていなかったのではないでしょうか。

各国ごとにみごとに違う、セブンイレブンのレンチン弁当コーナー。セブンイレブンは、わかってるんだろうなあ。


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