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2017-02-08

海外就職は「あたらしい日常」への階段である

神農(@kanchanr)です。先日お話を伺ったマレーシア就職した方の話。色々根掘り葉掘りお話を伺いまして、話を聴く限りは日本人として働いて、マレーシア人と英語でコミュニケーションをとり、マレーシアの街を営業車で毎日駆け抜けていく。そんな、「ザ・海外就職」のお話でした。

で、インタビューが終わる頃には「海外で働いてみて、どうですかね?」と結論づけるような話になったのですが、彼は「もう別に変わりないというか、普通ですね。日常です。」と話していたんですね。

僕もかねてより「海外就職は日常になる」「非日常後の日常を生きていくことが海外就職である」と言ってきました。それは非日常性だけに囚われて海外で暮らすことを考えると、それはすぐに飽きるよ、と。辛く苦しいこともあるでしょうし、単なる海外旅行ほど一筋縄ではいきません。

一方、海外就職は自分を変えることでもあるし、大きく自分を成長させることである、とも考えてきました。彼にとって海外に根を下ろして暮らすことははじめての経験だし、英語を使って外国人と外国で働くのもはじめてゆえ成長させられる経験だと思います。それは気付いたら日常になっているんですよね。

それって、素晴らしいことだな、と。なぜなら、そうやって人はキャリアを作って行くし、できることが増えていくし、人生を拡大させていくからです。「それこそ、キャリアを歩むということじゃんか!」と膝を打ったのでした。僕自身も23歳でジャカルタ就職したときは、驚く程にノースキルでした。英語力もたぶんTOEIC600点はあると言われていましたが(実は受けたことなかった)、新卒入社した会社で1年勤務しただけ。綺麗に第二新卒としての道に踏みだし、しかも海外生きたい!と無謀にも考え出したのでした。

結果、ノースキル文系であって当時の僕は、成長市場で仕事が山ほどあり、「できること」がない自分ですら雇い手があるようなジャカルタで職を得て、働き出しました。その後ご縁あってフィリピンで仕事を得て、移住した次第です。いま振り返ると、自分には当時と比べてたくさんの「できること」があります。それは、「あたらしい日常」へと歩を進めたからなんです。

もちろん就活段階で、なけなしのできることを整理して見せられる応募書類をつくるとか、当時の自分でも職がある市場を選ぶことはとても大切なことでした。だからこそ就職できたし、だからこそ経験が積めた。だから「できること」が増えたんです。そして気付いたら、「海外ではたらくこと」は、日常になっていたんですよね。6年前の自分に、「6年後こうなってるよ」と教えてあげるとたいそう驚かれるはずです。想像もできなかったですから。(とはいえ、まだまだなんですが)

「あたらしい日常」で経験を積めば、また別の「あたらしい日常」が顔を出します。海外就職後に日本で経験を積むこともそう、最近知人界隈で増えている別の国への海外転職もそう。そうやって、なにかをとっかかりに「あたらしい日常」へひょいっと飛んでみることが、成長なんでしょうね。

やりたいけど自分ができそうにもないこと、でもほんのちょっとできるかもしれないと思うことに足を踏み出せば、必ずできるようになるし、それこそが「あたらしい日常」である。なるほど、海外就職ってそうなのか。と腹落ちしたのでした。まる。

マレーシア・KL市内の大きなショッピングモールで見た中国・旧正月のお祝いイベント。鳳凰かな?多民族国家マレーシアでは数ヶ月ごとに各民族の催しがあるそうですが、その光景が日常になるのも「あたらしい日常」ですね。

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