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2017-02-07

目の前のリアルと、バーチャルな情報のシーソーゲームについて

神農(@kanchan_r)です。マレーシアに来て3日目になります。毎日おひとりのマレーシア就職者の方にお話を伺っているのですが、毎日その人の体験的インプットをインプットできて、毎日が勉強。いまものすごく、目の前のマレーシアという街、はたらく人々に集中している生活を送っている実感があります。放っておいたら、他になにも情報が入ってこないくらいに。(ちなみに昨日公開した記事はこちら。)

しかし一方で、ふとした瞬間にスマホを見ることもあります。インタビューといっても1日一件、その他は街を歩いて写真を撮影しながらネタ探しをしたり、書いたり。情報ジャンキー、というかスマホ中毒な私はふとした瞬間にTwitterを開いてしまうのです。こわいのが、そしたらもうどんどんそちらに時間を奪われていくんですよ。

ほんとうに凄まじい世の中になったものです。目の前に強烈な体験的インプットがあって、それをアウトプットしなきゃいけないので正直毎日かなり忙しい。なのに、スマホでTwitterを見る余裕はあるのだし、しかもタイムラインにのめり込んでしまい、気がつけば30分経過していた、みたいなことも昨日ありました。

情報というのは「こんにゃく」のようなもので、情報活動というのは、こんにゃくをたべる行為に似ています。こんにゃくは食べてもなんの栄養にもならないけど、たべればそれなりの味覚を感じられるし、満腹感もあるし、消化器官ははたらき、腸も運動をする。-情報の文明学

梅棹忠夫氏は著書「情報の文明学」にてそのことを言い当てています。情報には摂取した感覚がある、と。(ちなみに本書、1988年初版だとのこと。よくその時代にこうなることを言い当てていたのだな、ととても不思議です。ちなみに1988年は私が生まれた年でもあります。)

良い意味では「なんにもならない情報もある。それでいい」ということなのです。このブログだってどれだけの人の目に触れるかといえば、そう多くないでしょう。それでも存在価値はある、と。しかし、その情報は人の集中力を奪う存在でもあるし、目の前の現実世界よりも時としてインパクトがあるのだな、としみじみ感じています。

であれば、僕のブログなんかも、「体験のエンジンになる」ような作用がはたらくようなものであればいいなあ、とも思うのです。2012年からブログを書いていますが、とてもうれしいことに「ブログ見て、海外就職しました」と言ってくださる方もいらっしゃいます。ただの情報でもいいのですが、海外就職という領域において、自分のブログ記事がだれかひとりの背中でも押せるようなものになればいいな、と考えています。そうであれば、書いている意義が少しでもあるんじゃないか、と。

そのためにも、自分が体験すること、現場に足を運んで実体験者に話を聴いて海外就職の真実を見ることを怠りたくはないものです。

大都会クアラルンプールの中心にあった「NON-HALAL」の日本食料理屋。こういうのも、実際に自分の目で見てはじめてわかるものなのでしょうね。マレーシアの社会って、そういうことなんだ、と。

【参考文献】

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