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2017-02-04

当たり前に複数ヶ国で働く時代には、複数の個人が融け合うことになる

神農(@kanchan r)です。フィリピンからマレーシアへの機上でこの文章を書いています。機上は、いつも不思議な感覚に陥ります。どこにも属していない(厳密にいえばどこかの国の領空なんだけど)、フィリピンでも、マレーシアでもない。ましてや日本でもない。機上というのは、そんな感覚であり、一方でこれからの未来を感じさせるような感覚です。

というのも、複数ヶ国で根を下ろして働いていくということは、自分ひとりという単位では語りきれない、今後は誰しもが複数ヶ国で職を得て働く時代が来るんじゃないか。そう思うからです。そんなとき、人は複数の「わたし」を感じ、更に融け合っていくんじゃないか、と最近は思うのです。

僕の感覚として、海外就職をしているとき3つの自分の分けられます。ひとつは、「日本人としてのわたし」、ふたつめは「外国人としてのわたし」。みっつめは「ローカルとしてのわたし」です。以下、説明します。

海外就職で表出する3つの「わたし」

日本人としてのわたし

まず海外で暮らしはたらいても、「日本人としてのわたし」は依然として残っています。母国語は日本語ですし、特に海外就職であればバリューの基礎となるのは「日本人であること」です。日本の商習慣に則って、日本人が考えていることを汲み、日本語ネイティブスピーカーとしてはたらく。

もちろん、そのうち専門性が高くなれば、「日本人としてのわたし」に頼らなくても済むかもしれません。しかし、そうではない日本人、「日本人としてのわたし」があるからこそ海外ではたらけるチャンスがある、という人の方が多いのではないでしょうか。

僕を例にとれば、僕はまだ日本人です。アイデンティティは日本人としてのものですし、母国語の日本語が一番流暢に話せますし、どこかの移民であるわけでもありません。こうして日本語のブログを日本人として書いているのを省みても、そうだと自分で思います。

ローカルとしてのわたし

一方、「ローカルとしてのわたし」も存在します。これは、ローカル文化や価値観に影響を受けている自分がいるということ。例えば、ずっと海外にいると日本の文化を相対化して見るようになってきました。昔は満員電車も乗っていましたが、今は「やっぱりこれって根本的になんかおかしいんじゃないかな…」と感じるようになりました。それにこの前お正月に日本にいたときも、久々に初詣の様子を目の当たりにして、「日本人ってほんとうに信心深いんだな、じつは」と実感として感じました。

この感覚は、間違いなく「ローカル」が基軸になって日本を相対化している視点です。一方で、時間の感覚は確実に緩くなりましたし、やはりアジアはとにかく明るい人が多いですから、自分の昔よりは明るく、楽観的な人間になりつつあります。思想家の東氏は、「人間環境の予測値である」といいますが、ほんとうにそうなのだろうなとつくづく感じます。

外国人としてのわたし

そして、もうひとつ「外国人としてのわたし」が存在します。これはあまり耳馴染みがないかもしれませんが、海外就職をすると大抵感じることです。基本的にはアジアでは日本人は好意的に見てもらえるため、歓迎されます。しかし、ある時永遠のアウェイであり、ローカルに完全にはなりきれない者であり、所詮「外から来た人」である感覚に陥ります。そもそも、海外就職といえども就労ビザを国におろしてもらって働いている身です。(最近は移民の問題も頻発していますが)所詮外国人であって、ローカルの人ではありません。

これは海外就職者の役割という意味でもそうです。日本人として日系企業で働く人が多いですが、その場合、ほんとうに理想的なのはローカル社員だけで会社が回ることです。なぜなら、その国はローカルの人達のものだから。だからビザをおろさなければ働けない、長期間滞在できないのですし、シンガポールなんかはわかりやすく外国人就労者への規制を強めています。「お客さん」であって「傭兵」であって、「外から来た人」なのです。

海外就職は、この3つのわたしが混在するような感覚を味わいます。それは日本で働いていては感じ得ないものですし、それは不安にもさせられるし、孤独さえも感じるようになります。海外就職はとても孤独ですが、それはこのせいもあるのでしょう。

複数の「わたし」が融け合っていく時代になる

そんな複数の「わたし」は、今後融け合っていくと予想しています。なぜなら、自分の中でもその感覚の片鱗があるからです。日本人としての個性は残っているのですが、だからといって日本に帰りたいとも思いませんし、別にどこでくらしてもいいくらいです。昔は「日本人だからいつかは日本に帰るんだな」とは思っていましたが、別に一度帰ってももう一度出てもいいですし、本当にこだわりがなくなってきました。

それでいて、3つの「わたし」が自分のなかに確実にあることを、とても興味深く観察しています。だって、そんなことって日本にずっといたら、絶対ないじゃないですか。とてもおもしろいですし、「これが時代なのか」と。

この先、複数ヶ国で働いたことがある人や、複数ヶ国に仕事がある人が増えていくでしょう。日本国内でも「複業」、「複数拠点居住」、「ノマド」といった言葉で語られていますが、インターネットのおかげで遠くの国の情報が瞬時に受け取れ、送信でき、LCCでどこへでも低コストで行けるようになっった今、国を超えてはたらくことも大しておかしなことではないのです。

僕が拠点を置いているフィリピンでも、ドバイで働き、アメリカで働き、専門性を身につけてフィリピンに里帰りする方もいらっしゃいます。インドネシア人の友人の親類は、アメリカで研究者の仕事をしているそうで、その友人自体もいま日本ではたらいています。そしてその誰しもが、先述した複数の「わたし」が混在し、融け合っていく感覚をどこかで覚えているのではないでしょうか。

現にLCCが普及し、語学学習も容易になった今、海を越えることも、人間が想像上で作り出した国境という概念を越えることも容易になりました。今回の出張も片道3時間、往復で2万円ちょっとです。是非、この感覚を味わってみてください。

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