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2017-02-01

ビジョンを持つとは、自分を壊すことをイメージすることに似ている


年末年始、実は日本に一時帰国しておりまして。会いたい人もいる、欲しいものもあるということで1週間半地元と東京に帰省しておりました。そのとき機会があって、原宿のFUJI FILMに行ったんです。どうやらデジタルカメラで撮影した写真をプリントするというサービスがあり、若い子の間で大流行だそう。そもそも日本ではフィルムカメラも流行らしいですね。

当方写真がそれなりに好きでモノとしてカメラも大好きなのですが、プリントしたことはさすがになかったんですよ。でも騙されたと思ってやってみたら、これがもうとてもたのしかったし、うれしかった。なんなんでしょうか、あの感じ。いままで写真やってて体験したことのないような感覚でした。しいていうなら、「なんかわからんけど、とてもうれしいし、たのしい」。

もともとね、行く気がなかったんですよ、実は。連れの強い要望についていった、「まあ、なんか発見あるかな、せっかく東京来たし」という感情もありました。しかし、連れと一緒に旅行をして、撮影した写真をプリントアウトするという行為そのものがこんなに楽しいものだとは、実際にやってみなければ一生わかりようがなかったです。

おまけにその写真は今風にInstagramみたく正方形写真で、手帳や鞄にそっと忍ばせることができます。誰かと旅行中に陶芸教室でコップ作るとか、染め物やってみるとか、そういうものと似たうれしさ、たのしさがあるのだと思いました。

記号と体験は、しんじられないくらいに全然ちがう

さて、なにがいいたいかといいますと、「記号として見ていることと、体験してやってみることは全然違う」んです。例えば海外就職ひとつとってもそう。僕はインドネシアとフィリピンに住んでいますが、他のアジアの国で働くことも、わかった気になっていました。「どこのアジアの国も変わらんだろ」。そう高を括っていたことがあったんです。

しかし、実際に昨年末タイ就職取材に赴いてみて、「なるほど、こういうことか」と発見はたくさんあったんですよね。この記事にも書いていますが、交通機関整備されていることのありがたさとか、おいしいご飯が外食で食べられるとか。極めて生活者目線ですが、こういうのは案外忘れていた。

きっと、日本にずっと住んでいる人がアジアに住むだけでも、ものすごい衝撃があるのでしょう。だってフィリピンとバンコクもぜんぜんちがいますが、きっと日本とバンコクの方が全然ちがう。そして大事なのは、「記号と体験のちがいは、体験しないと絶対にわからない」ということです。

宮崎駿が2010年にこんなことを言っていました。

あなたの人権を無視するようですが、あなたには調べられません。なぜなら、安宅型軍船の雰囲気や、そこで汗まみれに櫓を押し続ける男達への感心も共感もあなたは無縁だからです。世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。

宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る

相当に過激な言い方だな(笑)とは思うものの、彼の意図はわかります。

「これからのたのしい自分」は、きっと今の環境が壊れた後にある

昨日、ビジョンはやっぱり持ったほうがいいという旨の記事を書きました。同時にそれが難しいのは、「ビジョンを持つこと = 自分の環境を壊すこと」だからです。

一方、体験の良いところは、「体験すれば自分の環境は否応なく壊れる」 こと。思想家の東氏はこう言います。

環境を意図的に変えることです。環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること。自分が置かれた環境を、自分の意志で壊し、変えていくこと。自分と環境の一致を自ら壊していくこと。Googleが与えた検索ワードを意図的に裏切ること。

環境が求める自分のすがたに、定期的にノイズを忍び込ませること。

-「弱い繋がり」

彼は本書で「ひとは所詮、環境の予測値であり産物である」と言います。住む場所、付き合う人、親、学校…いくら個性のある自己を演じてみたところで、じつは他者が規定した世界でしかものを考えられない。それは、海外で働くということにおいてもいえると思います。フィリピン人は多くの人が海外で働いていますし、インドネシア人も優秀な人材は海外先進国に働きに行く例はあります。別に海外に暮らして働くこと自体は世界的に見ても、大して奇妙なことではありません。しかし、日本のルールの下暮らしていれば、海外で暮らすことは非常に奇妙なことに映るのです。

https://twitter.com/nocci_84/status/826094892547870721

こんな例に引用して大変申し訳ないのですが(笑)、例えば、このツイートもそう。女性は○○歳までに結婚しなきゃ!まあ、それは加齢と共に出産時に肉体にかかる負荷が大きくなるとか、そういう事情はあると思います。ただ、そういう事情に加えて、「周りがそう言っている」「日本ではそういうことになっている」ということに囚われている節もあると思うのです。(のっちさん、こんな例に出してすんません)

※ちなみにフィリピンやインドネシアにいると、「未婚?はやく結婚しなさい!」と言われたりします笑

で、あれば。ビジョンを持つことは、「こんな自分になりたい」「こういう風に生きていきたい」と目標イメージを持つことです。それは社会のルールやしがらみに囚われている間は、うまくビジョンなんて持てないと思うのです。だってそのしがらみを壊した後にビジョンはあるのだから。

「いまの自分を壊したあとの自分」をイメージすること。それがビジョンを持つことなんじゃないかな、と思いました。

例えば、「タイ前国王崩御」の報が昨年末流れましたが、実際に行くとやはり未だにすごい。これはタイの空港ですが、巨大な像が。街中は未だに黒い服の方だらけでした。こういうにも、ある意味自分を壊す経験だと思います。

【参考文献】

 


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