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2017-01-30

「言葉の前にある沈黙」と「野生の思考」


神農( @kanchan_r )です。

2008年に糸井重里氏が書いた記事を引用します。「沈黙の発見。」というタイトル。

これは、僕が勝手に

自分を納得させた考え方なんですが、

言葉というものの根幹的な部分はなにかといったら、

沈黙だと思うんです。

言葉というのはオマケです。

沈黙に言葉という部分が

くっついているようなもんだ 

と解釈すれば、僕は納得します。

だいたい、言葉として発していなくても、

口の中でむにゃむにゃ言うこともあるし、

人に聞こえない言葉で

言ったりしてることがあります。

そういう「人に言わないで発している言葉」が、

人間のいちばん幹となる部分で、

いちばん重要なところです。

戦後最大の思想家・吉本隆明との対談で出てきた言葉です。僕も彼の話を読んで、「ああ、そうか」と思いました。

沈黙は、よくもわるくも伝わる

言葉の前に沈黙がある。それっておそろしいことだなと思います。だって、言葉の力は強力に存在するにせよ、その言葉はすでに沈黙によって規定されているということ。吉本氏はその沈黙を「自己表出」という言葉で表現しています。

あえてここでものすごく単純化すれば、「そのひとがなにを言おうと、沈黙の部分はバレる」ということにもなると思うんです。

例えば、現実世界でも、毒を盛ったようなことばを話す人がいます。人を斜めからみたようで、我が強くて、ソーシャルでも読んでいるとぴりっとくるような、そんな文章を書くひとがいます。ちょっと他人を小馬鹿にしたような、自分が絶対に正しいと思い込んでいるような…とまでいうと言い過ぎでしょうか。そういう人、というかアカウントがこれまたものすごくフォロワーが多かったり。

そういう事例を傍からみていると、たしかに言葉が問題なのではなく、言葉からにじみ出る雰囲気というか、言葉の奥底にあるであろう怨念や人となりによってフォロワーがいなくなったり、ついてきたりしているんだろうなと感じます。

また糸井氏の言葉を引用します。

ほんとうになにかが伝えたいというようなときには、絶対に「ことばがきれい」なほうがいい。-「抱きしめられたい。」

さらに先日この言葉について、彼自身がほぼ日のラジオ企画で話していました。そこでリスナーからこんな質問がきていたんです。

「きれいなことばのほうがいいと糸井さんは言いましたが、毒のある言葉は時折とても人の気を引くと思います。言葉の毒についてどう思いますか?」

それに対して糸井氏はこう答えました。

「毒のある言葉のほうが人の気を引くが、そのとき発言者は『ほら、俺のほうを見ろよ』と思っているんでしょ?確かに気を引くんだけど、それはそう思っている人が使う言葉だよ」

まさに、「言葉の前に沈黙がある。」ということだと思います。これはある意味、Buzzfeedの「No Hater!」という採用基準にもあてはまることではないでしょうか。彼らは「憎しみを原動力にしている人」は採用しない、という採用基準を掲げています。Buzzfeedの編集デスク・鳴海さんも「怨念に囚われると読者が置いてけぼりになる」とTwiiterで話していましたが、結局怨念は言葉に伝わっているんでしょうね。

リアルでもそうですし、Twitterでもそうですが、ことばに表れていなくても、その「ひととなり」はバレるんですよね。別に言葉上は小馬鹿にされていなかったとしても、その人が他人を小馬鹿にするようなところが「沈黙」の中にあれば、相手に伝わります。「言葉の前に沈黙がある。」というのは、そういうことなんじゃないだろうか、と思うのです。

それでもひとは言葉にするのを辞められない

最後に少し逸れた話をしますが、それでいて人間は言葉にすることを辞められないのだなと思います。

野生の思考を規定するものは、人類がもはやその後は絶えて経験したことのないほど激しい象徴意欲であり、同時に、全面的に具体性へ向けられた最新の注意力であり…(略)-「野生の思考」(レヴィ=ストロース)

文化人類学者のレヴィ=ストロースは「野生の思考」で上記のように書きました。「未開人」とされる人達であっても、ことばで表しにくい事象、心象に対して、それを想起・連想させるような具体的な事物で置き換えて表すことをしたわけです。それは現代の論理的概念を用いた科学的思考の基底にある、というのが彼の主張でした。

これはトーテミズムといって、動植物の名前で氏族を規定したりしたそうな。「ソングライン」という本がありますが、あれも「アボリジニが岩や道、風につけた名前を辿る」という話でした。

僕も完全に趣味でこのブログをやっていますが、毎朝「あっ、こういうことなのか!」とか「なるほど、ということはこういうこと?」とA4用紙を目の前に考えています。これがなんで誰にも言われなくてもやりたくなるかといえば、「野生の思考」が僕ら現代人にも備わっているからなんだろうなあと。

言葉の前に沈黙があり、言葉にしようというのは「野生の思考」である。今朝の発見でした。まる。

その言葉が外国語だったら?というのは、結構おもしろい。

参考文献

 


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