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2017-01-28

海外就職を通じて、「日本人であるという自意識」に囚われなくなること


この前、ふと思いました。働く場所なんて、ほんとうにどこでもいいな、と。昔はそうでもなかったんです。どちらかというと「まだ日本に帰りたくない」だとか「とりあえずジャカルタで頑張りたい」「3年やったら日本帰国」などという気持ちがありました。しかし、いまはどこかに移住するのもアリですし、日本で仕事をするのも別に悪くないですし、40歳くらいでまたどこかの国で仕事をするのもアリだなと感じる程度には自由な考えになってきました。というか、本当にどうでもいい(笑)

この心理状態をひとことで表すと、「囚われない」ということだと思いました。僕は海外就職して5年半、働いたことがある国は2ヶ国に渡りますが、ということはこうして海外就職すれば、「囚われない」ようになるといえるのではないでしょうか。
「囚われない」ということは、僕のなかでは2つのことに分解できるようです。以下、説明です。

日本人であることの自己に囚われない精神性

囚われないということはどういうことなのか?まずひとつは、「日本人であるという自意識」に囚われないということです。例えるなら、「日本でなくてもどこでも生きていける」ということでもありますし、「一緒に働くのがなに人でも構わない」ということであり、「自分なんてない」と認識することです。そしてこれは、自らを客観視することで得られる見地です。

ぼくら日本人が海外に出て働くときに、たいてい最初に直面するのは「日本人としてどう働くのか」という問題なんですよね。トラブルとして最もわかりやすいのは、外国人に日本の常識や商習慣を押しつけ、理解してもらえないこと。そこで日本人優位の考え方、現地の人をバカにするような考え方をしていては、事が進みません。海外就職をした人に期待されていることは、ローカル社員と協業して求められる成果を挙げることです。そのためにできることは、「日本の商習慣を押しつける」ことではありません。

そういう話を聴く度に思うんです。「日本人であるということや自意識に囚われすぎてるな」、と。ハッキリ言って、上記任務を遂行する際に、ぼくらが日本人であることは現地で生きてきた彼らにとってはなんら重要ではありません。もちろん、顧客企業が日系企業である限り、ローカル社員に日本の商習慣に則ってもらう必要性は生じるでしょうし、名刺交換のときに名刺をぞんざいに扱うようでは、先方からもチクリと言われてしまうでしょう。

日本の商習慣を共有することは、日系企業と仕事をするためには必要です。しかし、「日本人の方が優れている」「ローカルの方が劣っている」ということとは実際、無関係なはずです。「日本人の方が優れている」と言いたい人達、思いたい人達は外国でマイノリティとして生きることを誰かに承認されたいのでしょう。上記事例は、わかりやすく「日本人であることの自分」に囚われているといえます。

一方、どこかで全員が「ああ、俺は日本人であることに囚われているな」と気付く日がやってきます。そこではじめて「日本人という自意識はなんだったんだろうか・・・」と考えることになるでしょう。それが「日本人であるという自意識」を客観視するということなのです。

余談ですが、「日本人であることを活かすこと」と、「日本人であることの自分に囚われること」は似て非なるものです。なぜアジアでいま日本人のニーズが高いのか、普通の日本人が働けるのかは、僕らが日本人であるからに他なりません。日本企業がアジアに進出して久しく、そこで日本人のアイデンティティを活かして働けるニーズがある。しかし、それとその日本人としてのアイデンティティに囚われることは別問題であると切り離しましょう。もちろん、「日本を捨てる」こととも大きく違います。日本人であることを活かしながら、日本人であることに囚われなくなっていくだけです。

実際に長期で海外に根を下ろして働くということも、拍車をかける良い要素です。海外就職後に久々に一時帰国してみんなが感じること。それは、「そういえば、日本ってこうだったよな」という感覚です。いくらTwitterで情報収集していても、そこにいないということは、日本国内の体験的インプットはありません。寂しくもあり、恋しくもあり、しかし同時に以前とは違う自分になっていっていることに気がつきます。かくいうぼくも、「あ、俺が住んでいる世界と日本とは良くも悪くても、まったく性質の違う時感が流れているんだ」と寂しくなったことがありました。

仕事において日本人である自意識に囚われなくなっていくと同時に、現地での体験的インプットが多くなり、どんどん以前とはちがう自分になっていく感覚が必ずあります。僕もこの5年半色々迷い、考えながら人生を歩んできましたが、いまの自分は5年半前とはまったくちがう自分です。

「日本以外でも生きていける」体験と、その根拠にもなる職務経験

もうひとつの「囚われない」は、。日本以外の国で暮らし、はたらいたという経験から生じるようです。多くの日本人は、日本でしか働いたことがありません。日本の商習慣で、日本のルールに則り、日本語で、日本人とだけしか働いたことのない人が大半でしょう。一方、一度別の国に根を下ろして働くと、「日本以外でも俺は働けるんだ」と体験的に気付くことになります。

加えて、そうして働けば経験も積み上がります。「海外就職はキャリアにならない」という発言を以前聴いたことがありますが、キャリアとは「経験をすることで、できることが多くなったその道程」であり、海外就職で経験を積めば他国でも日本でも働けるようになります。人は誰しも、どこかで経験したことのないことを経験します。

元々できることを活かして新しい仕事を経験し、そのおかげでどんどん専門性が生まれ、できることが増えていくのです。僕だって5年半前はノースキル文系でしたが、今やある意味グローバル人材なのでしょうし、現地社員のマネジメント経験もありますし、マーケティングコミュニケーション・PRの経験も積ませてもらっています。

大事なのは「日本以外でも俺は働けるんだ」という実感と、あともうひとつ、その経験が今後も就労ビザをおろしてもらえる要素になるということ。

海外ではたらき、暮らしていこうと思うと,就労ビザをおろす必要があります。就労ビザは個人に対して企業がスポンサーになって「この人はこういう経験があり、こういう貢献ができるので採用したい」と交渉します。それこそ、そこで一度海外で働きローカル社員と協業した経験と業界・分野での就労経験があれば、就労ビザはおりやすくなるのです。

そこまでいけば、日本以外でもはたらけるという実感と共に、日本以外で働ける根拠も得られます。それは自身になるでしょうし、そうやって海外就職においてできることを増やし、キャリアを歩んでいくのです。

海外で働くという体験的インプットの価値

今朝この記事を書いていて最後に思うのは、体験的インプットの大きさは凄まじいということです。僕の人生で、最も濃い時間はやはりこの5年半でした。自分が想像もつかない体験的インプットが手に入れられたからです。それゆえ考え方も変わり、生き方も変わり、行動範囲も広くなりました。2012年当初の僕をよく知る師には、最近になって「ほんとうに神農さんは成長したね」と評していただいています(笑)なんてありがたい話なんでしょうか(笑)

僕はこの原稿において、100%自分の体験からモノを語っているつもりです。ここには人から見聞きしたことというよりは、自分が体験して感じたこと、考えたことしかないんです。こんなことは5年半前は1mmも語れませんでしたが、それだけ体験的インプットの価値は大きく人の人生を変える力があるのだなと思います。また、海外就職はそれだけドラスティックに自分を変化させる体験ですし、だからこそ人生は拡大するのでしょう。

マレーシアの銀だこ。いきなり日本のお店が目に飛び込んでくると、あっ!と気付いてしまうあたり僕は日本人だなあといまだに思います。海外でたこ焼き食べるのなかなかイケるので、是非お試しあれ。


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