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2017-01-26

誰かのことばにならない感情が動いていること = 自己表出


なにかしらの、想いのない文章やコンテンツって、あまり読まれないなあと近頃思います。そこで「ああ、そういうことか」と納得した記事がありました。まずは下記を読んでみてください。

例えば、万葉集に旅立ちを見送る人がいます。
当時は、旅に出るということは、
死の危険があるようなことです。
だから、別れ際の二人が名残を惜しんで、
いつまでも手を振っている姿が見える。
この状況を、指示表出だけで捉えると、
「手を振っている人たちがいました」。
でも、この情景を描いた詠み人の中には、
感じて欲しいものがあって、
受け取る側からしても、
そこを「美」として感じるわけですよね。

「指示表出」だけでも人はしゃべれるんです。
だけど、「自己表出」の部分がないと
感動が生まれない、美が生まれない。-「ことばをずっと観察している

これはそもそも、ほぼ日株式会社代表の糸井重里氏と、三省堂国語辞典の編纂者・飯間浩明氏の対談記事です。糸井重里氏は昔「おいしい生活。」「ほしいものが、ほしいの。」などの名コピーで有名になったコピーライターの方で、今はほぼ日刊イトイ新聞というメディアを運営しています。そんな日本語の達人と、国語編纂者の方の対談という非常に痺れる企画なわけでして。

日頃Twitterのタイムラインに流れてくる記事だったり、仕事関係者の書く記事に「熱い記事だ」と思うこともあれば、「なんだかなあ」と思うことも等しくあります。なにがちがうんだろうと。それがこの記事を読んでわかりました。要は、「アツい記事」というのは自己表出が書き手の中にあるんです。逆に、あまり心を動かされないコンテンツというのは、書き手の情動がない。

情動があるか、ないか

たとえば、上記で引用した記事だって、きっとそこには編集者や書き手の情動があるのでしょう。情動というのは感情の動きと書きますが,「この話、ここがおもしろい!」と心底思っているかもしれません。もちろん、「この記事でどうやってお客さんを集めようか」という視点もあるでしょうが、それよりもおもしろがっている。その結果、「このおもしろさ、伝えたいな〜」って思っている。そうやって、試行錯誤して文章にし、構成をしている。

これは自分の経験からも、そうだといえます。とある記事を書いたときは「おれはとってもおもしろい話だと思う」というすがすがしさがありました。おまけにインタビューを受けてもらった方も「なんか、スッキリしました!」と言っていた。取材対象者もうれしくなった、取材をしたぼくもうれしくなった。そんな記事だったんです。

いま、当時を思い返していて感触が残っているほど。そこには「情動」がありました。感情の動きがあったんです。

ロボットに対しての仕事よりも、人間に対しての仕事を

仕事でも私事でも、コンテンツをWeb上で書いている人間として、最近思うことがあります。それは、「結局、人間によろこんでもらえるようなコンテンツを書かないとな」ということです。どう検索エンジンで引っかかってくるか、どうすれば1位になれるのか、どういう構造であれば・・・というGoogleに対しての仕事をしてしまいがちです。(いや、もちろん超大事なんですけどね。商売はお金を稼がないといけないですし。)

イマドキ、文章を書くだけなら誰でも書けます。TwitterやFacebookの普及で、Web上に文章を書く人は10年前に比べ、圧倒的に増えたはずです。であれば、「なぜやるのか?」と自問するときも必要なのでしょう。そしてやるんなら、「だれかによろこんでもらえるコンテンツをつくること」を大事にしていきたい。
人にインタビューしたり、調べたりして、「どうやってひとによろこんでもらう仕事をするのか」を突き詰めないと、大切なことを見失うなあ・・・と思っている次第です。


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