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2017-01-02

【書評未満】海を越えると得られる視点「モノを捨てよ 世界へ出よう」(高城剛著)


高城剛氏の2013年の著書「モノを捨てよ 世界へ出よう」を今更読みました。僕は結構高城剛氏が好きで、あの頭ぶっとんでいるところや、それなのにリサーチが非常に緻密でファクトを積み上げた話を著書で展開するところ、数日毎に違う国・島にいるというもはや理解できない行動力(最近ご自身も多動であると認めているようです)が非常におもしろい。

さて、本書を読みました。既に海外に出て5年が経過する自分にとっては改めて発見は多くありませんでしたが(なぜなら本書はまだ海外に出ていない人向けの本)、ひとつ「ああ、これはほんとうにそうだなあ」という部分があったので共有します。

なぜ外界を知ることが維新志士たちを成長させたのだろうか。

もっとも大きな理由は、これまで自分が置かれていた内なる世界を、俯瞰的・客観的に見直す視点が得られることだ。

別に自分は維新志士でもなんでもないのですが、これはほんとうにそうだなあと。僕は自分が海外就職で最も成長した点はなにかといわれれば、「自分を相対化して見られるようになった」ということです。自分というのは、自分の身体だけではなく、今まで自分が常識・前提としていた価値観のことも含みます。

今回久々に日本に一時帰国してみても思いましたが、やはりいまの自分にとって日本というのはある意味「相対的なもの」であるようです。例えば、すべてが整然と進行すること、綺麗に列に並んで待っている様子、街が綺麗で静かなこと、商品の細かいところが常にアップデートされることなど、すべてが「ある意味外国」なのです。この視点は5年前はありませんでした。5年前まではそれが「当然」だったのです。

まあこれは当たり前なんでしょうけどね。なぜなら、やはり人は「環境の予測値でしかない」からです。思想家の東氏は著書「弱いつながり」で下記のように言いました。

ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。僕たちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。

22年間日本で暮らしていた僕は、「日本(地元及び東京)という環境が求める自分」だったのです。そんな自分には、とてもじゃないですが日本を相対化して見るなんて視点を持ち合わせていませんでした。そして、高城剛氏のいう「俯瞰的・客観的に見直す視点」というのは、非常に卑近な例でいうとこういうことなんじゃないかな、と感じました。

ということで「海外就職で得られる視点はこういうものだ」といっても差し支えないのではないでしょうか。その意味でも、海外就職に興味がある方は、本書を一読するのは決して悪くありません。高城剛節がきいた本なので、その他も痛快なところがたくさんあります。海外に出るすべてのひとへ。


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