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2016-01-21

やりたいことをやることについて語るときに彼が語ること

Camotes島-9去年の下半期から、ひょんなことからお知り合いになった写真家の方によく飲みに連れて行ってもらっていた。ここではOさんとしよう。その方も一旦日本に帰るので、最後に飲みに連れて行ってもらった。

Oさんはかれこれ10数年写真家としての活動を続けている。主にネイチャー系の写真と、ある有名アーティストの専属写真家をやりながら、ハワイ、日本、その他の国を一年中回りながら仕事して暮らしている。最近の若い子(僕も含め)からすれば、まさに憧れの仕事生活をされている。更に、ナショナルジオグラフィックからも表彰されるほど写真家として評価されている彼も、そう容易な人生ではなかったようだ。

彼が写真家として仕事に打ち込むようになった大きなきっかけは、「身近な友人の死」だった。20代前半の頃、彼にとってとても身近な人が亡くなった。その人はある分野で才能があり、Oさんいはく「自分なんかよりも余程才能ある人だった」。しかし突然癌に倒れ、その短い人生を終えるしかなかった。

Oさんは、彼が亡くなるまで毎日のように病室に通って話した。今までの話、これからの話。「病気が治ったら、元気になって活躍する俺の写真を撮ってくれよな。そしたらお前の写真が新聞に載ってさ、ふたりで有名になろうぜ!」彼らは誓った。そんな彼は結婚を誓い合った彼女との結婚式も控えていた。しかし人生は彼らの予想以上に残酷だった。

友人の死を目の前にした彼は、考えた。「才能があってやりたいことがある人でも、夢叶わずに人生を終えてしまうことがある。なんで俺は俺のやりたいことを今やらないんだ?」。亡くなった彼は癌に冒されなければ、その分野で世界的にも活躍していたかもしれない。その非情な現実を受け入れざるを得なかった彼と、自分の人生を重ね合わせた。

その時からひとり残されたOさんは写真家の師匠について、必死に働いた。アシスタントとして雑用もやったし、色んな仕事をした。給料も安かった。とてもハードな仕事で、夜寝られない日もあった。それでも、「あいつがやれなかった分、俺がやりたいことをやる」と心に決めた彼の前に、迷いはなかった。そんな彼は、2次関数のように一直線だった。

そんなOさんが「やりたいことをやること」について語るとき、その瞳は輝いていた。ただの輝きではなかった。乗り越えてきた一抹の悲しさを帯び、それでも、いやだからこそ今燦然と輝く。僕は27年間で初めて見る瞳だった。僕は言葉失った。僕なんかが言えることなんて、半径5m以内にもなかった。ただただ、ため息をつくしかなかった。僕は自分を恥じた。

「こんなに命を燃やしてやりたいことをやっている人がいるのに、僕はどうだ?」勿論着々と自分の想いの方向へ舵を切ってはいる。しかし、彼に比べたら僕の覚悟なんて比べるのが失礼なくらいである。
「だって、ホントに明日死ぬかもしれないんだよ?んじゃ今やりたいことを全力でやりきるしかないじゃん!」彼の言葉は明るく、重い。「どうせやりたいことやって一度上手くいかなかったところで命落とすわけでもないんだし、それなら、やりきる意外に選択肢はないよね」。

 

4年前、ちょうど年が明けて肌寒い中にも暖かい日差しが零れていたころ。僕は新卒で入社した会社を辞めて、23歳にしてジャカルタに渡航した。新卒で入社会社で僕を可愛がってくれていた役員の方に、最後こう言われたのだ。「神農さん、本当に明日神農さんは死ぬかもしれないんですか?そんなに生き急がないといけなんですか?」。彼にとっては寝耳に水だったことだろう。彼からはたくさんの機会を頂いた。今僕が「人とキャリア」にこれだけ興味を持っていて、それを自覚しているのも、彼に貰った機会のおかげでもあった。

そんな彼に問い詰められた僕は言葉に詰まった。ぐさっと心臓に銛を突き立てられた感覚だった。逃げるようにして、東京のオフィスから立ち去った。冷たい風と、場違いに差す陽の光は僕の心境を写実しているようだった。

その後住んでいたシェアハウスに平日の真っ昼間っから帰ってきて、住人の方に息を切らしながら「辞めてきました」と気丈に言うくらいの根性しかなかった。もし僕と彼が同い年だったら、その「覚悟」には天と地の差があったのだろう。彼は僕が23歳のときには、「覚悟」を決めていた。「あいつの分までやりたいことをやっる。一番になる。」と。

僕があのとき言えなかった言葉。「そうですよ、明日死ぬかもしんないでしょ。だから今ジャカルタに行くんですよ!」そう言えなかった僕の弱さ。

 

僕がもし、これからの人生でぶち当たることがあるとしたら、「やりたいことをやること」について悩むという壁だろう。僕は「内省持ちで思索の人」だそうだ。思わず立ち止まって考えてしまう。3年も前からこの世を漂う不確実性についての決意を固めているにも関わらず、毎回立ち止まる。最終的にはかなり、やりたいことをやっているので他人からは自由人に見られるようなのだけど、それは散々内省して、その結果である。要は頭でっかちなのだ。

Oさんは、勝手に僕の心の師にしている。僕には心の師が彼を含め3人居る。その3人の方は全く違った職業、年齢なのだけど、皆「やりたいことをやること」について1mmの迷いがない。年齢は僕の10歳上や20歳上だったりするのだが。Oさん含め心の師匠達に話を聴くと、毎回ハッとさせられる。「俺はやれているのか」。

彼は最後に言った。「最高のカメラもある、仕事には恵まれている、可愛い子供もいる。これで写真家としてもっと上に行けなかったら言い訳できないよね!もうやりきるしかないよね」。僕もそうだ。目の前に海外就職者を支援するという仕事があって、勉強する機会も豊富にある。世界中でこのことをやっている人は我が師を含めて、おそらく3人しかいない。

 

「10年後、僕はOさんみたくなれているだろうか」僕はOさんに聴いた。「なれるんじゃない?でも、この10年で俺もどんどん先に行くけどね!」僕はどうやら、自分の想像を遥かに超えたスピードで、人生を生きていかなきゃならないようだ。いつか彼に追いつける、いや、その影を踏めるくらいにまで走れたらいいなあなんて、思ったのだった。Oさん何度も飲みに連れて行っていただいて、ありがとうございました!!

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