「非日常」は必ず「日常」になる。

「外に出た後の世界」というものはとても興味深い、と僕は今強く思います。しかし、幼少の頃はそれよりも、「外に出る」ことそのものに憧れを抱いていました。

「外に出たかった」人間が外に出てみた感想

僕は兵庫県の片田舎の生まれでして、梅田と三宮という都市には電車を使えばものの15分程度で到着できてしまう町に住んでいました。しかし、その町自体はなんにもなくて、典型的な村社会でした。すぐそばに「外」があるのに、なかなか出られない。「外に出たい」と悶々としていたという記憶が未だに脳内に鮮明に残っています。

僕にとって、「外に出る」という行為そのものは「非日常」でした。だからこそ魅力的だったんだろうし、だからこそ怖かった。小学生の時分では、もはや大阪に外出しにいくことにすら恐れを抱いていました。外に出たい癖して怖いんです。電車に乗ることすら怖かったです。

そんな田舎者の僕は、大学入学と同時に「外に出る」ことになりました。
高校生の時の僕はどうしても外に出たくて、溜まらなかった。それゆえ、それなりに良い大学に行くという条件付きで親に援助してもらい、半額は奨学金で都会にある大学に入学しました。

そんな「地元の人が行かないような良い大学行く」という非日常的な行為の後に待っていたのはなんだったのでしょうか。それは、「日常」でした。毎日何の変哲も無くすぎていく日常だったのです。

それなりに世間的には優秀だといわれている大学でもみんな結構普通でした。勿論自分もそう。そんな者同士で遊び、サークル活動に精を出し、たまには単位を落とし、そして卒業していく。それは普通だし、日常でした。

大学時代が無駄なものだなんて思いませんが、どこにでもあるありふれた大学生の日常だったのだと思います。
その後更に外に出たくなり新卒就職と同時に状況、そして更に外に出たくなり、1年後にはインドネシアのジャカルタに移住しました。

「非日常」はすぐに「日常」になる。それが海外在住ですら

多くの人は以前の僕と同じように、「非日常としての外」に興味を持っているように思います。確かに、「外に出る」ことは紛れもなく「非日常的な行為」なのです。例えば、日本で働いている人が外国に職を求め就職するという行為それ自体は非日常的な行為です。

数年前の僕にとっても間違いなくそれは、非日常的な行為でした。だって、インドネシアとかいうよくわからん国でいきなり働くんですよ。想像しただけでも脇汗をかくくらい興奮するようなことでした。あの時は、脳内物質が分泌されている感覚がよくわかりました。

いわずもがな、そんな非日常的な行為により訪れた非日常は、すぐに「日常」になります。僕にとって今や海外で働くことは日常です。周りに外国人しかいないことや、綺麗な海が近くにあることや、公用語が英語である国に住んでいることは日常です。

日本にいた頃に友人だった人達がいない今のくらしも日常ですし、電車に乗らない生活も、本屋さんに行けば英語の本しかないくらしも日常なのです。

「非日常的な存在」としての海外在住者インタビュー

僕は今「外に出る」こと以上に、「外に出た後にどうくらしていくのか」を想像することが大事だと考えています。
非日常はすぐに日常になります、経験則でいうと1年くらいあればもう完全に日常になります。砕けていえば、非日常に飽きます。海老フライが大好きな人が毎日食べているとすぐに飽きてしまうのと同じ。

最近海外で働く人のインタビューサイトも流行なのか増えてきましたが、正直、「凄い人の凄い話」ばかり読んでいると飽きます。優秀な日本人が世界中にいるのは素晴らしいことですが、「今すごいことやってる、これからはもっとすごいことになる」話ばかり聞いていても飽きます。味が濃すぎる。

どうやら取材者もそのインタビューに「非日常性」を持たせることに尽力しているらしく、「ドヤ、凄いやろ」と言わんばかりの編集になっているのも、そろそろ食傷気味です。

そんな記事では、「外に出た後の世界」であり「日常」である部分の記述はありません。だって、おもしろくないものね。

外に出た後の日常について考えよう

でも、本当に大事なのは「外に出た後の世界」のことなんじゃないでしょうか。誰しも非日常を求め、ドラッグのように中毒になります。でも人生の大部分は日常で構成されています。日常を楽しめなければ、人生は楽しくありません。

海外就職もそうです。今後益々現地採用は増えると思いますが、「非日常」を「日常」にし、「日常」を楽しみ、その延長線上にある将来のビジョンを構築できない人は、おそかれはやかれまた「内側である日常」に戻っていきます。

非日常には中毒性があります。東京の一角にあるビルの中で一日中働いている人がセブに来てダイビングをすることは「非日常」です。年に1度取れる有休を楽しみに、その非日常を楽しみに仕事をする。それは中毒でしょう。できるのなら、その非日常を日常とするか、日常を楽しめる方が良い。

これから海外へ出る人達が増えてくるものと思います。そんな中大事だと思うのは、海外で働くことや生きていくことという「非日常」を「日常」にすること。もっといえば、そこに「無常」を持ち込むことです。

日常に喜びを見いだせない人は気付いていません。実は日々変化があるし、全く同じ日なんてない。実際全く同じ瞬間なんかないですし、その「いまここ」を生きているはずなのです。「いまここ」は日常にありますし、旅の途中であるし、そこには強い当事者性があります。そんな「いまここ」であり日常が一番興味深い。

日常に無常を持ち込めない限り、人生は楽しくありません。ドラッグとしての「非日常」の中毒になっている限り、海外就職後の将来ビジョンは想像できませんし、キャリアを建設的に考えていくことなどできません。だって、その人にとって海外就職は「非日常」なんですから。

「非日常」はすぐに「日常」になります。その日常をどう生きるのか、どう無常を持ち込むのか。そういったことを考えていたのでした。

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とはいえ僕も非日常が大好きなんですけどね。これはマラパスクア島という非日常的な島に行った時の写真。あー、こういう非日常が日常になるような行き方がしたい。まる。

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profile 著者:神農亮(Ryo Kanno)( @kanchan_r )
2014年5月までジャカルタで現地採用→6月よりフィリピン・セブ島の語学学校サウスピークで海外就職サポートの仕事をしています。ご相談お気軽に!
"If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right."
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