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2015-03-18

インプットはほどほどに。脳味噌の中は想像力豊かであれ。

久々にTwitterでつぶやいていたら、友人に応答してもらい、こんなやりとりに発展しました。

海外に住んでると、他人をあんまり気にしなくていい

東南アジアに住み始めて4年が経とうとしていますが、改めて振り返って思うことがあります。それは、ここに住んでいると他人を気にしなくて済むなあということです。

日本人に囲まれている今はまだしも、ジャカルタに居るときは特にそうでした。仕事相手はインドネシア人とか他の外国人だし、一緒に働く日本人も海外に拠点を置いている人達。街に繰り出せば物質的にも豊かではなく、インドネシア人ばかり。東京とは全く違った風景が広がっています。

そういうところに居ると、実際自分と他人を比べようという気にもなりません。その他人って誰?日本に居る日本人?インドネシア人?それともフィリピン人?と、範囲が広すぎるからです。

持つ感覚としては、日本と「日本以外」という感じでしょうか。もしかしたら、「上京するとかつての地元の友人とは比べることもなくなる」のと、同じ現象なのかもしれません。

僕は、実は元々周りや他人のことを超気にする人です。自分のこと悪く言っている人が居ると聴けばめちゃくちゃ気になるし、逆に褒めてくれていると聴けば飛び上がるほど嬉しいです。他人を気にしすぎて、逆張りしてしまうほど。ジャカルタ行きを決意したときも、ある意味「ハードリセット」としての意味合いも含んでいました。

そんな他己評価を激しく気にしていた自分としては、こういう土地に住んでいた方が精神衛生上健康的なのかもしれません。

他人を気にすることは、自分を見失うこと

久々にオレオレ論理で恐縮ですが、他人を気にしているときって、自分を見失っているんですよね。だって、他人って本来関係ないじゃないですか、自分がなんか決めるときに。

例えば、自分が海外就職するときに、「周りはどう思っているんだろう・・・」となるのは、自分を見失っています。あなたが海外就職するにあたり、批判する人はあなたの人生に責任を負ってくれるわけでもないし、全ての人はポジショントークを語ります。僕然り。

勿論、それで失敗したところで全責任は自分にあるので、自分と向き合ってそれなりの計画を立てるべきだとは思いますが。

よく言われている「世間」って、「個々の認識」の集合体であって、みんなそれぞれの世界を持っています。僕は今僕の世界を生きているし、この文章を読んでくれている方はまたその方の世界がある。人は関わり合って生きているのは確かですが、基本的には独りなんです。

勿論、アドバイスは素直に耳を傾けるべきです。裸の大将になってしまうと、誰からも愛想つかされてしまう。唯我独尊になれというのではなくて、大事なことは自分で責任持って自分で決めようね、ということなのです。大事なのは、「お前はどう思うんだよ」なのです。

情報摂取しすぎると、自分を見失う

では、なぜ人は(もとい、僕は)簡単に自分を見失うのでしょうか?
単純に、インプットし過ぎだからです。情報を摂取しすぎです。もっといえば、タイムライン見過ぎです(僕が)。

東京に久々に行った時、電車に乗っている人達が大げさではなく本当にみんなスマホをいじっていました。ゲームをやっているのか、Twitterやっているのか、それともKindleで本を読んでいるのかは定かではありません。多分いじっていないと、不安になるんだと思います。僕も同様に、習慣としてTwitterとかFacebookを見ないと不安になります。

でも正直、そんなに必至こいてインプットする理由あるんでしょうか。
そんなに必至こいて他人の動向確認しなくてもいいですよね。そんなに必至こいて、電車乗っている隙間時間にスマホいじいじしてなくてもいいですよね。

インプットとアウトプットの比率は半々が調度いいです。みんな1日に摂取している情報量に見合う程度のアウトプットをしているのでしょうか。

インプットし過ぎてアウトプットしないと、自分のアタマで考えなくなります。というか、頭味噌が麻痺する感覚といいましょうか。ガッチガチになります。僕も、Twitter見過ぎたり、本読みすぎると、そういう感覚に陥る。

目指すべきは、「インプットはほどほどに。脳味噌の中は想像力豊かであれ。」

目指すべきなのは、インプットはほどほどにして、想像力が豊かである状態です。情報を制限して、脳味噌をフルに働かせる空間を空けておいてあげましょう。

想像力って、実務の上でもとても大切です。例えば、ある日英語学習頑張ろうと思い立ったとします。そこで抱く目標イメージが明確であればあるほど、到達しやすいです。TOEIC800点で、その時外資系企業で外国人クライアントとやりとりしていて、高揚感溢れている自分。もっともっと具体的にゴールイメージが想像できれば、それでおk。

結婚を目前にした花嫁は、減量に圧倒的に成功しやすいというお話がありますが、納得いきます。多分花嫁は痩せて綺麗になって幸せの絶頂に居る自分がとても明確にイメージできているのでしょう。人生の一大事ですしね。

そういう想像力を発揮できるようになるためにはただひとつ、インプットを制限することです。僕は最近久々に東京に帰ったときに、頭がとてもスッキリしました。移動に忙しすぎてTwitterもFacebookも見る余裕ないし、最近の自分のことを久々に会う友人らに話さなければならないし、疲れましたがとても爽快感がありました。

そうなると集中力もグッと戻りましたし、他人の存在よりも、自分の思考の方に意識がいくようになりました。

思考の枠を取っ払って、可能性は無限大と考える。そして、深く掘る。

インプットをある程度制限したら、やるべきことはシンプルです。思考の枠を取り払いましょう。こうやったら誰かはこう言うんじゃないか、こう思うんじゃないか、貯金が十分ではないのではないか、この歳で世間的には云々などのしがらみ。そういうことは全部忘れて、脳味噌を使って想像するんですね。しがらみを脳味噌内で捨てるんです。

20年後どういう風に働いていたいだろうか、もうちょっと近くの話だと、7年後はどうしていたいのか。それをそれはもうリアルに描けるまで想像し、考えましょう。深掘りしましょう。頭の中だけで考えるのは至難の業なので、そういうときは迷わず紙を使いましょう。紙の上で、ちゃんと言葉にしましょう。

僕は、人生前だけ向いていれば十分だと思っています。過去に犯した過ちはその時々で償うべきですが、その後は潔く前を向くべきです。「前向きに」というのは、前を向くことに他なりません。前を向いて、さてどんな可能性に身を投じるかを想像するのです。

歳を重ねれば、可能性は絞っていくもの。そうなんですが、それでも何歳になっても可能性は広がっています。大概なんだってできますし、僕なんかまだ26歳ですから、例えばいきなり今から写真家になるとか映像作家になるとか言い出しても、なれると思います。投入する時間がまだまだありますから。

脳味噌の中で可能性の海を想像力で縦横無尽に泳いでみること、そして深く深く掘っていくこと。そうしながら生きていけたら、別に過度に他人を気にする必要もないし(かといって蔑ろにするわけでもないし)、前向きに楽しく生きていけそう。僕は今、そう思います。

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