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2014-12-25

クリスマスは部屋に籠もって「考える時間」を取ることにした理由

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深い孤独がなければ、まともな作品は作れない ー パブロ・ピカソ

メリークリスマス、世間。みんな外でイチャコラしているんでしょうが、僕は敢えて部屋に籠もり思索に更けることにしました(強気)。

理由は、冒頭の言葉にちょうど出会ったからです。これ、心の底から同意するんですよね。なぜなら、深い孤独がなければ自分の興味領域を深掘りする時間がとれないからです。そして、そういう考える時間が取れないと自分の意見というのは作れない。

自分の興味領域を深掘りする時間

最近の自分とジャカルタで働いていた時の自分、何が一番違う?と言われたらこう答えます。「現地採用について考える時間が減ったこと」と。

理由は、仕事柄常に周りに人が居て、独りになる時間が少ないからです。ジャカルタ時代と比べると、累計で人と過ごしている時間はかなり増加しているはずです。彼の地では営業でしたし、独りの時間は必然的に多かったです。取引先からの帰り道に渋滞で数時間捕まることも日常的で、幸いにもその時間は考える時間に充てることもありました。
また、性格上近くに人が居ると思わず「飲みにいこう!」等誘ってしまいます。この体たらくでは、考える時間そのものが減ります。

これでは現地採用について考え続けることは難しいです。

「まともな作品」をつくる

パブロ・ピカソは冒頭の文章の中で「まともな作品」という言葉を使用しています。僕にとって、「まともな作品」とはなんでしょうか?それは、自分の興味領域でゼロベースの意見を構築することです。
もっと具体的にいえば、現地採用はどうあるべきなのか?を追求することです。

ブログを始めて2年以上経ちますが、ここで書いてきたのは、経験則に基づいて考えた「現地採用としてどう在るべきなのか?」というべき論でした。「べき論」というのは必然的に極端になってしまうもので、ジャカルタでは各方面より色々な反応(営業妨害するなとか、お前は間違っている、逆に応援のメッセージ等)を頂いたものでした。

僕は、自分の興味領域くらい「べき論」を持っておくべきだと考えています。物事を論じようと思えば、人それぞれだとか、人間そう完璧ではないだとかいう言説は必ず現れます。しかし、それは全然本質的ではなくて、そう言ったところで何も解決しないし、何も生まれません。何かを前に進めようと思えば、深い仮説が必要なのです。「こうすべきなんじゃないの!」という仮説。

年齢とか社会人経験とかが関係あるかはわかりませんが、個人として自分が興味ある分野において意見を持つということは、深い仮説としての「べき論」を持つことだと思うんです。

ということで、もう一度自分の「べき論」を研ぐためにクリスマスは独りで家に籠もります。メリークリスマス。

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