経済成長のアイコン”ジャカルタ”から離れて思うこと

Jakarta

↑僕がジャカルタで住んでいたコスからの風景。

今まで数ヶ月間学校の部屋で寝泊まりしていたのですが、ホテルに住まいを移しました。
引っ越しすると頭は毎回スッキリしますし、周りに人の気配が少ないという理由で今とてもスッキリしています。ですので、久々に過去を振り返ります。

実はジャカルタを出て半年近くが経とうとしています。ようやくあの頃が客観的に見られるようになり、今どういう風に心境が変化しているのかを観察できるようになりました。

「経済成長都市」ジャカルタ

ジャカルタといえば、最近AT&カーニー社が「今後20年間に世界のリーダーとなる都市に変貌する可能性がある都市第一位」認定した都市です。
今思えば、そういうところに住んでいたのだなと懐かしくさえ思います。確かに、彼の地は皆が言うとおりの経済成長都市でした。

車は馬鹿売れ、公共交通機関の発達が追いつかずに1週間通して渋滞、ラッシュアワーは特に排気ガスで道を歩きたくないほどでした。スモッグが原因だからか、常に曇っており、その中にそびえ立つ高層ビルの摩天楼、という言葉がよく似合います。

そこではインドネシア人の給料は転職すれば上がるし、工業団地では労働賃金向上デモで日本人駐在員の方々が人質に取られたり。そのデモのおかげでまた渋滞したりと、「混沌」を体現していました。

乱立するショッピングモールはどれも豪華絢爛でGUCCIなど高級ブランドが名を掲げ、ユニクロやIKEA、ZARAからH&Mまでグローバルブランドがこぞってテナント入りしていました。これぞまさに経済成長都市であり、グローバル化というやつです。

23歳でジャカルタ入りしましたが、あの時ジャカルタを経験していて良かったです。なぜなら、2年経った今、自分の方向性がある程度明確になったからです。

(※ついでに付け加えると、アジアのグローバル化はあまりおもしろいとは思いません。同じブランドが同じようなショッピングモールに入る都市群。まあ、その恩恵を受けているのでなんも言えませんが。)

ジャカルタ住んでみて思ったこと

実際住んでいると正直なところ、「お腹いっぱい」でした。経済成長、大量消費社会お腹いっぱい。

大量消費社会で暮らしていると自然とそうなるのでしょう。僕の生活も、不思議とそれに適応する形でした。例えば、仕事やって夜帰ったらこってりラーメンとビールを飲みに行くとか、そうでない日は速くて安いのでナシゴレンとコーラを食べるとか。土日はなかなかお高いバーに繰り出して、仕事でも私生活でも酒を浴びる。あの生活2年で、人生で初めて10kgも太りました。
ちょうど当ブログをたくさんの人に読んでもらえるようになってきていたので、Twitterにも常駐していましたし、暇があればTLを横目で見てツイートしていました。
新しいうどん屋ができればこぞって行きましたし、絢爛と輝くショッピングモールの写真を撮っていました。

ただ、こういったジャカルタの「Noisyさ」に良い意味でも悪い意味でもそこそこ早い段階で満腹感を感じていたのです。こういうレベル感の気付きは実際にやってみないとわからないものです。そして思いました。多分これからの自分にとって「必要ではないこと」なんだな、と。

自分に必要なのは「削り落としていくこと」

そう思った頃から今まで、そしてこれからの自分に必要なのは、とにかく成長している機会の多い国で働く、ということではありません。住んでいる場所とか所属している大きなモノとか、ましてや持っているモノではありません。必要なのは、「削り落としていくこと」です。

そして今まで貯めに貯めた雑音や雑念を削り落として、本当に自分にとって大切なものを見いだすこと。

本当に自分にとって大切なことというのは、自分が本当にやりたいことなのかもしれないし、ありたい在り方なのかもしれないし、楽しいと思うことなのかもしれません。残念ながらまだまだ削り切れていないので、そこまで具体的にはなっていません。ある程度形は見えてきていますが、ここで言うレベル感には達していません。

進捗とこれから

ヴィパッサナー瞑想で学んだように、今は炊飯器で炊いた玄米を朝昼食べて、瞑想もし、モヤモヤは全て紙に書き出すようにしています。ネットに居る時間も減らしました。ジムでトレーニングして肉体的にも絞り始めました。

おかげで太った10kgは痩せて、人生で初めて筋肉もつき始めています(日本ではもやしキャラでした)。こうして無駄なものを削り落としていき、どんどん感覚を鋭敏にしていこうと考えています。「まるで修行僧のようだ」と言われますが、ある意味道を探求しているので修行僧なのかもしれません。

アホらしいと思われるかもしれませんが不思議なことに、体と精神を鍛えていくと確かに少しずつ無駄なものが削られていく感覚を味わえます。それが持続しないのが、まだまだなのでしょうけど。

その末でどこに行き着くのかは今の自分には到底わかりません。正直まだ時間の投入量が少ないように感じます。

ですがこの調子で地道に雑音を削り落としていき、自分のあるべきところまで到達したい。その時になれば、また新たな動きが自然と起きるのだと思います。

by
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

ブログ主
profile 著者:神農亮(Ryo Kanno)( @kanchan_r )
2014年5月までジャカルタで現地採用→6月よりフィリピン・セブ島の語学学校サウスピークで海外就職サポートの仕事をしています。ご相談お気軽に!
"If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right."
*お問い合わせはこちらよりお願いします。