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2014-09-14

住むところなんてどこだっていい理由

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photo credit: Franck Vervial via photopin cc

最低限長期で住むなら条件はあるものの、基本的には正直どこに住んでもいいと思っています。これは僕にとって、住む場所が場所であることに意味が特にないということです。

それは、住む土地と自分のアイデンティティ(自己)の結びつきが非常に弱いからです。もっというならば、最近特に、自己という意識が非常に薄くなってきました。これもまたひとつ僕の学びであり、変化なのでここに記しておきます。

土地と自己が結びつかないということ

もしかしたらもう日本全体でもそういう意識が高まっているのかもしれませんが、僕は自分がどこに住んでいる人であるという意識に欠けています。
昔はその逆だったでしょう。もう何十年も同じ土地に住んで居れば、その土地に執着心が沸いて意地でも出たくないおじいちゃんおばあちゃんも多数居ることと思います。

しかし、自分は住んでいる土地、もっといえば、自分が何人であるのかということと自己が結びついていると考えづらい。もちろん、日本ネイティブであることの恩恵を海外で感じる機会は多々ありますが。

これは多分僕が実は日本で日本人として生まれ育ちながら完全なる韓国籍という歪な背景を持っていたからでしょう。日本で生まれ育ち税金払っても参政権はないですし、やっぱり日本人的には韓国人です。

しかも、韓国に行けば韓国語が話せないし文化的背景も日本人なので、日本人扱いされます。加えてインドネシアで働いていてインドネシア語が話せるので、なんかもうぐちゃぐちゃです。ちなみに大学時代の第二言語は中国語でした。

実はセブにもマニラにも同じような境遇の方がいらっしゃいました。彼ら彼女らと話していると共通するのは、「別にどこに住んでたっていいよね。どうせ日本人でも韓国人でもないんだし」という結論です。そのおかげか、僕は初めて上京するときもジャカルタに移住するときも、セブに移住するときも特段抵抗はありませんでした。

というかそもそも自己なんて存在しない

もうひとつそう思う理由としては、最近の僕の気づきとして、多分自己や自我なんて本当はないんだろうなということです。昔から「我が強い」と揶揄されてきた僕としては変化なんじゃないかと感じます。
これはヴィパッサナー瞑想で2週間修行した後、今も瞑想を毎日やっていて気づいたことでした。

自分という存在を因数分解すると、大きく分けて肉体と精神(心)に分けられます。瞑想とか運動でノイズを省いていくと薄々気がつくのは、僕が固執していた自己・自我なんて、分解していけば細胞分裂をその都度繰り返している動的な集合体でしかないということでした。

それは血流だし、細胞骨格の一回性の付加・脱落だし、それが絶えず行われている総体としての肉体です。これはスピリチュアルな何かではなくて、紛れもない科学的事実です。

ずっと自分探しをしていた僕としては、大きな気づきです。実際、文化人類学や進化論の本を読んでいたのも、元々は「いかに自己を定義するのか」への悪あがきとしてのアプローチでした。しかし、そういう本をたらふく読んでも書いていることは結局、動的平衡と不確実性についての話です。

本当に大事なものこそ目には見えない

「それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。大切なことは目に見えないからね」ー「星の王子さま」

「七面鳥がいて、毎日エサを貰っている。エサを貰う度、七面鳥は、人類の中でも最も親切な人たちがエサをくれるのだ、それが一般的に成り立つ日々の法則なのだ、と思い込む・・・(中略)・・・感謝祭の前の水曜日の午後、想いもしなかったことが七面鳥に降りかかる。七面鳥の信念は覆されるだろう。」ー「ブラック・スワン」

星の王子さまも、ニコラス・タレブもゴエンカ氏も、言っていることは同じです。それは、不確実に騙されるなということです。

不確実なものを確実だと思い違いして賭けてしまえば、いつか黒い白鳥が現れたときに手痛いしっぺ返しをくらうことになる。まさに大切なものを目に見えないことであり、見るべきものは世の中の大半を占めている不確実性そのものなのです。

ほんとに自分は住むところに執着ないよなあと感じたことから、今回はまとめてみました。無我についての話は、本当に良い気づきだなあと思います。
ここ最近は瞑想と肉体的トレーニングをすることでどんどん我を忘れ、自分の肉体と精神と向き合うようにしています。コツコツ続けていくことでまた変化があると思いますので、その際はこのブログでも気づきを報告します。もっと行けるところまで行きたい。

参考文献

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