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2014-08-27

形式知としてのブログ

Medium 9591638939
photo credit: deeplifequotes via photopin cc

最近学校で会う生徒さんにも、ブログやってるんですねーというお声がけをいただくことが多くなりました。たぶん、サウスピークのカリキュラムに僕の昔の記事が紛れ込んでいるからだと思います。

なので、ここで改めて自分のこのブログへのスタンスを明確にしておきたいです。こういうのは経年変化するので、ここに記すことは価値がある。あまり整理せずにつらつら書きます。

「昔の自分が知りたかったこと」を書くため

僕がブログを始めて、かつ今も続けている理由を一言でいうなら、昔自分が知りたかったことを、今知りたい人に伝えるためです。

特に最初海外就職ネタを集中して書いていたのはそのためでした。というのも、僕が現地採用就職するときは、まだあんまりネット上にも海外で働いている人の実話が載っておらず、知りたいのに知れないという状況に陥っていたからです。
もちろん現地に直接行って聴けば良いですし、今はそういうWebコミュニティもありますから不便はしません。

でも、未だに思うんです。もっとネット上に海外就職現在進行者の体験談が載っていてもよくね?と。

海外就職のこと、海外就職後に彼/彼女はどういうことを考えて悩み、そして生きていくのかが当時の僕には不思議で仕方がありませんでした。そして、こういう人は僕以外にも少なくとも数人くらいは居るだろうと思ったのです。
それはそこそこ間違いではなかったようでした。反応を見るに、未だにこういう話は希少価値があるようです。

存在証明としての形式知化

このブログで書いてあることはーある人が言うにはーひとつの経験知だそうです。僕が具体的に実際に体験して思ったこと、こうじゃないかと考えたことが書いてあるからだそうです。

それはそれでひとつの価値があるらしい。確かにGoogle先生の存在意義なんて、きっと検索エンジン登場前には散逸していた個人の経験知や形式知を検索できるようにしたことです。そういう意味では、役に立つと言ってくれる人が一人でも居る時点で、1μmでも価値があるのかもしれません。

人にとっての価値は置いておいて、僕にとってもこのブログがやる価値があるは、昔の自分が知りたかったこと・知り得なかったことを今の自分は知っているという、存在証明であり生きた証になりうります。僕がここにいたことは、誰も証明してくれない。その意味では、自己肯定の一種でもあるのかもしれない。

ミームとしての文章

最後に言うならば、一人でも人を動かした文章はそれだけで存在する価値があるということです。

僕の文章で何人の人がどういう行動を実際に起こしてくれているのか、どういう影響があるのかを隅々まで知る由はありません。でも、未だにメールで応援メッセージを送ってくれる方、Skype相談のお申し込み等があるということは、一応常に1人の人には何かしらの作用を及ぼすことができている、ということなのでしょう。
そのリアクションは僕にとってとても大きな動機付けです。単純に人の役に立てて嬉しい。
そしてあわよくば、この経験知が誰かの経験知と繋がって、どこかで自己永続的なアイデアになればいいなあなんて思っています。それ、いつになるんだろうか。

以上のような理由があり、未だにブログをやっています。バズりも狙いにいきませんし、そもそもバズるほど普遍的な経験知の形式知化なんてできませんが、コツコツ積み重ねていこうと思います。引き続き宜しくお願い致します。

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