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2014-03-25

学ぶという行為がなぜ大切なのかについてひとこと言っておくか

Medium 8102887117photo credit: World Bank Photo Collection via photopin cc

先日とある方と話して、学ぶことに対する興味関心というテーマで話す機会がありました。そこで僕自身改めて、自分にとって学ぶという行為は非常に大切であると痛感したのでした。

ということで、なぜ僕にとって学ぶという行為が大切なのか、以下説明します。

自分を高めるには、自分で学んでいくしかない

ひとつめの理由としては、自分自身を高めていくには、自分で学ぶことが必要不可欠だから、というものです。なぜなら、周りに先生なんていないから。

一般に、大学を卒業してから仕事がんばる理由としては、お給料あげたいとかレベルの高い仕事ができるようになりたいだとか、お客さんの役に立ちたいだとかいうものだと思います。

僕も今モチベーション下げずに仕事に取り組めているのは、仕事の内容がとても興味深く、仕事で得られる達成感も大きいからです。(給料は上がりませんが)
でもそうやってスキルを高めるには、自分で学ぶことが大切です。なぜなら、仕事場に先生は居ないから。

学生時代とその後の大きな違いのひとつはこの、教えてくれる先生が居るか居ないかです。特に高校時代までは、先生というわかりやすい正解が居ます。社会では上下関係を第一義とし先輩の言うことは絶対服従である、だから今のうちにその慣習を身につけておけ、とか先生が言ったりします。今考えるとなんやそれという感じですが、その時は比較の対象もないし何の疑いも持っていませんでした。でもその時代には、この人の言うことは絶対だという正解があったのです。

でも、学校卒業して働き出せば、先生はいません。大企業は研修制度や洗脳制度があったりしてまるで社内の諸先輩方が「正解である先生」であるかのように振る舞うこともあるようです。しかし、幸か不幸か僕が新卒から身を置いて来た場所ではそんなものありませんでした。もちろん仕事を覚える段階では、思考停止してとりあえず真似ることから始めたりしていますが、それ以外では疑ってかかっています。

現地採用なんかほんとにど真ん中でそうです。先生なんていないし、ましてや自分がローカルスタッフの先生代わりをできないといけません。彼らを教育し、一緒に働くことで彼らだけではできない成果を上げなければならないのです。

そういう状態だとなおさら、自分で学んでいかなければなりません。学ぶ手段は様々ですが、ひとつは本でしょうか。色んな本を読み比べて実践で経験して、照らし合わせながら、こういうことなんじゃないか、と仮説を立てて検証する。そうすることで、どんどん自分の中での答えみたいなものが見えてきます。お客さんのニーズを引き出すにはどうすればいいのか、効率良く仕事を回すにはどうすればいいのか。その答えは、先輩のというひとつの経験知も参考にすべきですが、それは崇拝の対象ではなくて、参考の対象です。もちろん本も。

自分の給料を上げるためには、成果を上げるには、能力を上げるためには、もっとお客さんに貢献できるようになるためには、自分でどんどん学ぶことが必要です。教えてくれる人が基本的に居ない環境では、本でも経験でもなんでも活用して、自分なりの答えを出していかなければならないのです。

世界をよりよくするために学ぶ

もうちょい抽象的で遠そうで、かつ実は1番大事なことです。つまるところ、僕らは世界を今までより良くするための成果物を出さなければなりません。そのためには、学ぶしかないのです。

衣食住が足りていれば、どうにか人間は暮らしていけます。でも、それだけでいいのでしょうか?
部分的な議論(生活保護とかホームレスとか)をあえて抜かすのであれば、衣食住を揃えることは難しくありません。

人間はただこの自然の精妙な仕組みを利用して、それをわずかに工夫して、自分たちの役に立てているだけなのだ。人間が衣食住を得るのは、すでに自然の手によって99%まで完成しているところへ、人の力で最後の1%を加えただけのことである。人間は衣食住を自分で作ったとはいえない、実際は道に落ちていたものを拾った、というくらいのものだ。 – 「学問のすすめ」

今ある文明は、過去に生きた人々の成果物であり、その集合であり、遺産です。現状維持をずっとしていけば、やがて技術は陳腐化し、発展は見られません。古人が生んだ成果物を食いつぶすだけでなく、よりよい明日を作るために自分たちも学ばねばならないのです。

福沢諭吉は言います。

われわれの仕事というのは、今日この世の中にいて、われわれの生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝えることにある。 – 「学問のすすめ」

大昔はそんなこともありませんでした。マット・リドレーによると、50万年前イングランド南部マングローブ村では、馬の解体に、手のひらサイズで縁のついた両面加工ができる石器を使用していたそうです。ただ、彼らはそれを100万年の間ずっと使っていたと。そんな気が遠くなるほどの年数の間、テクノロジーの変化が起きなかったのです。根本的な原因は、そのとき人類には物々交換も分業による専門化も起きていなかったことだったのですが。

今のある文明では新しいものがどんどん生まれていきます。それは、当然のように他人と交換することを日常的に行い、専門化することで、集団的頭脳を使うから。だから、今あるテクノロジーはどんどん陳腐化し、新しいものが生まれていきます。ウォークマンすげえと思ったら、ウォークマンに電話機能がついたようなiPhoneが出てくるわけです。

でも、そういう改善やアイデアの交換による発想がなければ、50万年前の人類のように、進歩することはありません。
世界というと大きい話になりますが、それは別に自分の半径5m以内でも同じです。

自分のスキルを上げて得られる給料を上げていくには、自分で学ぶことが必要です。なぜなら、社会には絶対的な正解を教えてくれる先生なんかいないから。加えて、今ある世界をよりよくするためにも学ぶことは大切です。学ぶことをやめてしまえば、過去の遺産である現代文明を食いつぶし、そのうち崩壊してしまうんじゃないでしょうか。

このブログも、僕の学びの成果物に他なりません。僕も個人としてやれることをこれからもやっていこうと思いました。

参考文献

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