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2014-03-04

母国語くらいは、丁寧に大事に使いたい。

Medium 7192618528photo credit: the measure of mike via photopin cc

インドネシアで働くようになって、より思うことがあります。それは、母国語である日本語くらいは、ひとつひとつの言葉を丁寧に、大事にしながら使っていかなければならない、ということです。

なぜなら、僕らがネイティブレベルで話せるのは、どうやっても日本語しかないからです。

インドネシア語の「大体」さと語学レベル

誰かが、インドネシアは「キラキラ」の国だと言っていたとか言わないとか。インドネシア語でKira Kiraというのは、日本語で大体とかおおよそとかいう言葉です。たぶん、インドネシア人のおおらかな国民性を、真面目一直線な日本人が揶揄したのでしょう。悪い意味でもなく、そこには一定の愛が含まれているとは思いますが。

でも、インドネシア語をマスターしているわけでもない人間が、インドネシア語はだいたいであると一刀両断するのは、少し乱暴かもしれません。だって、単語量もないしニュアンスも彼らレベルでわかるわけではありません。もしかしたら、彼らの間で不文律があるのかも。

やはりインドネシア語ってインドネシア人のものなんだろうと思います。日本語が、日本人のものであるように。もちろん、それで勉強する意義がないなんて暴論はありませんが、それでも文化的背景、文脈を共有していない僕らは真の意味でネイティブレベルにはなれません。

母国語としての日本語と、使う姿勢

そんな僕らも、文化的コンテキストを共有している言語があります。それは、日本語です。
僕らはもっと日本語を大事に使った方が良いです。だって、一番自分達がうまく使える言語は日本語なのだから。
普段外国語を使っているからかもしれませんが、単語の意味の粒度が粗いことや、論理が飛躍しまくっていることに出くわすことがあります。そんなとき、とても残念な気分になるんですね。ああ、日本人なのになあ、って。もっと、ひとつひとつの言葉を大事にすべきなんだろうなあって。(という壮大なブーメラン)

話すスピードが速い人って頭の回転が速いように思えますが、そうでなくただ早口な人も居ます。でも、そんなことする必要はありません。というか、むしろ海外に居るからこそ、日本語を大事にしたい。

それは本来、日本語でなくてもそうです。文化的コンテキストを共有しておらず、第二言語レベルの僕らは、お互いに丁寧なコミュニケーションをしなければ、平気で誤解が生まれます。ああ言ったのにわかってなかったの?は、ああいう言葉選びをした、ああいう理屈で話したから伝わっていなかっただけ、なのです。日本語で丁寧なコミュニケーションができない人が、外国語で同じことができるとは到底思えません。

姿勢がなにより大事

僕もこんなブログをやっているのでお分かりだと思いますが、日本語が下手です。母国語のクセに。でも、日本語を大事に使う姿勢だけは出来る限り崩したくない、と日々思っています。

別にできなくても、姿勢だけでも最初は十分なんじゃないでしょうか。日本語を丁寧に使おうとしている人は、話しているだけでわかります。ああ、この人は大事に日本語話しているなあ、と。そうなると、こちらも話を聞きたくなります。不思議。

海外に住む人間だからこそ、母国語を大事に使っていかなければいけない。そんなことを思いました。

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