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2014-02-28

機会は、準備万全の時には来るもんじゃない

Medium 56184930photo credit: SvobodaIT via photopin cc

昔からつくづく思うんですが、機会というのもは、自分が万全の準備があるときには来ないなあと。
なんでなのかなあと考えたので書いておきます。

自分の身を可能性に晒す= 大きな自分を見せること?

常々僕は、自分の身を可能性に晒すことが大切だと感じています。なぜなら、どんだけ有能だったとしても、人に知られることがなければ評価される可能性はないし、機会がないところに居ても機会は掴めないからです。

ポストが増えるわけない環境で出世することはありません。ポストがなければ、ポストが増えていくような場所へ移動すべきです。それに、評価されたければアピールすべきだし、自分のやりたいことがあれば、俺はそれができるんだと証明すべき。

結果的には、このブログも僕にとって大いなる可能性に身を晒し続けていることになります。例えば、現地採用としてどう在るかについてはよく考えているよ、だとか、日本人として外国で働くことに関しては一家言あるよ、とか。文章を論理的に書けるよ、とか(嘘つけ)。

でもそれは結果的に、自分を多少大きく見せることになっているんですよね。良い悪いでなく。結構等身大で書いているつもりなんですが。ブログってきっとそんなもん。

そうなると、自分にとっての機会は、多少大きな自分が見えている相手から頂くことになります。だから、鍵となる機会が訪れるときは、大体どこか万全でないのだろうと思います。

ちなみに海外就職決めたときは、これでもかというくらい万全じゃありませんでした。いろいろ。

そもそも万全の準備なんてない

というか、そもそも万全の準備ができている状態なんてないんじゃねえの?とも思うのです。万全てどういう状態なんでしょうね。求められるスキルが100%ある状態?それはどのくらい待てば、やり続ければそういう状態にもっていけるのでしょうか?それが達成されたときに、その機会はまだあるの?

「新卒は3年」「石の上にも3年」と日本では言われているのに、未だに仕事が3年続いたことがない僕には、全然イメージできません。
というか10年後もイメージしたことがない。そもそも25年しか生きてないし、仕事初めてまだ3年目なので10年後イメージするとか無理ゲーです。昔人材会社の大手さんが「10年後、20年後の夢を作ろう!今!」というワークショップをやっていて、わかるか!と友人に言ったのが懐かしい。この想像力の欠如が、レールから外れる一因になったんでしょうけど。

機会に対して準備万端!になるまで粘り強く待っていては、歳だけとっていってしまう。もしその機会が自分の頭で考えた末の方向性に対して道の上にあるのならば、やっちゃってもいいんじゃないかと思います。
ちなみに海外就職という選択肢は、僕の葛藤と思考の末の答えまでの道のりの上にあった、と強く感じます。

成長とは、当たり前にできることが増えること

鍵となる機会は自分をググっと成長させるものです。
成長って、自分のできなかったことができるようになることであり、今までやってたことが意識しなくても上手くできるようになることです。例えば、発声法って最初のうちは身体の色んなところを意識しないと良い声でないんですけど、上手くなると意識しなくてもできるようになります。そうなると、普通に歌ってても上手い。野球とかスポーツ全般もそうなのかも。

となると、そもそも成長の機会の前には、ちょっと足りない自分が居るはずです。だって、100%できていればそれは成長の機会にはならないんですもの。今のままでも簡単にできちゃうし。

もちろん自分の今まで培ったスキルを大いに生かすということもありますが、それでもやはり、新しい分野であったり、組み合わせるスキルが身に付いたり、新しいことがあるはずです。

ちなみに海外就職は僕にとって一回りも二回りも成長させてくれる機会でした。ほんとあのとき、覚悟決めて良かった。心の底から思います。もちろんまだまだ途上ですが。

僕はとても目的論的な考え方をする人なので、こういう思考回路になるのかもしれません。でも、して機会を選び取ってたら気がついたらインドネシアに居ます。そしてそれを一度も後悔したことはありません。ほんとです。
結構悲観的なことも書いてますが、それはよく人から聞く悩み等への理屈づけのつもりです。理屈があれば不安は減りますから。それと、自分の意見。

機会を目の前にして躊躇している人への、一助になれば幸いです。

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