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2013-10-26

Amazonに駆逐されないであろう「発見」を生む書店

Medium 3813097461photo credit: pfala via photopin cc

横浜の書店が閉店したとニュースで聞いたので一筆

僕は昔から本屋さんというものが大好きです。なんで大好きかというと、本屋に行けば発見があるから。
僕の中で昔から、発見がある本屋さんは良い本屋さんでした。

なぜなら、人間は自分の認識の枠を出られないのであり、その枠内から外に連れ出してくれるきっかけのひとつが、本屋での発見だったからです。

認識の枠を拡げる手段としての「発見」

このブログでも最近よく取り上げているように、人は自分の超えられない認識の枠みたいなものを持っています。それが価値観であったり、その人の常識であったり、偏見だったりします。

これってたぶん、そのときどきの自分の認識の枠があって。その時点では自分が想像しうることしか考えられない。   人生設計なんてしなくていい

僕は基本的に認識の枠は拡げていくべき論者なのです。なぜなら、自分の想像しうる範囲を広げた方が人生遠くまで行けるから。

人は想像力を拡げてその瞬間を支配できれば、地球の裏側だって行けてしまうんですよね。     「想像力こそが、すべてを変える。」

その拡げていく手段として「発見」のある本屋は非常に良いです。僕の今の認識の枠は大学時代と比べてさえめちゃ広くなった気がします。その一助となったのが、紛れもなく本屋さんでした。

東京には良い本屋がたくさんあった

初めて上京したときはほんとに東京ヤバいと感じたものです。なぜなら「発見」のある本屋さんがたくさんあったからです。インドネシアに出てもまだ覚えているのは、文教堂渋谷店。

そのときは本棚の角度とか高さとか本の見え方とかが、うちの地元の本屋とは全然違ってて、なんてクリエイティブなんだ!と度肝抜いた覚えがあります。そうか、スゴい本屋は創造性すら啓発するのか、と。あと新宿かどこかの紀伊国屋も。その店の企画がとても尖っていて、これ企画した人ぜったい本大好きだろ、と言わざるをえないものでした。地味で無名だけど尖った本。そういった企画にはある種の知性、哲学すら感じさせます。

尖った本屋や企画は、人に「発見」を生みます。そこで買う本は今まで自分の端にも棒にもかからないものだったんですよね。今まで。存在すら知らない。でもそこで思わず魅かれて買って読む。すると自分の世界が拡がるんです。こんな世界があったのか!おもろい!と。

そういう発見に富んだ本屋は入るだけでキラキラした気持ちになります。なんかないかなーと足を運んでしまいます。そこには「この本を買った人はこんな本も買っています」機能なんてないし、なくていい。興味のあることの周りばかりに手を付けていては、自分の想像力は拡がらないし、世界は狭い。

ちなみに最近はもっぱらKindle本か自炊業者に依頼した自炊本を読んでいます。ジャカルタにはロクな本屋がありません。そういう意味では本屋からの発見の機会を失ってしまったので、個人的には結構寂しいです。

上記2店の売上が実際どうなのかなんて知る由もないですし、海文堂がどうだったのかも知りません。昔横浜住んでたんですが何故か行ったことなかったし。いずれにせよ、「発見」を生むような尖った本屋こそがAmazonに駆逐されず、今後生き延びるんじゃないか、いや、そういう本屋にこそ生き延びて欲しいなんて思いました。

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