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2012-05-02

若者は田舎で生きるべきか都会で生きるべきか

 

上京して1年が経った。

そして1年越しで今地元に帰って来ている。理由はこれからの準備のためだ。
せっかくなので地元の級友達に会って話したり、飲んだりして昔を懐かしんでいる最中。
そこで改めて表題の件に対して立場が固まったのでここに記しておきたい。
僕は、これから自分の可能性を少しでも広げたいと思うのであればとりあえず都会に出るべきだ、と思う。

機会の多さ

都会のメリットとして様々な機会が測りしれないほど多いことが挙げられる。

例えば人と会う機会がくっそ多い。ここでは出逢いという言葉にも言い換えられるだろう。
しかも色んな人がいる。色んな価値観と出会える。さすが東京、地方流入者が7割を占める都市だ。今まで恋人と巧くいかなかったときに、価値観の違いを原因にあげてたことが愚かしく滑稽に思えるほどに。
自分が是としていたことがある人は否であることなんてザラにある。これは無理だろうとかこんな人おらんだろうとたかをくくっていたのに、隣にそんな人が平然とした顔で座っていることなんて日常茶飯事だ。

このように色んな価値観、色んな考えにもまれるというのは自分の可能性を広げるのにとても良いことだ。
個人の可能性を広げるためには、自分の知らないことを知り、できないことをやり、信じられないようなこととface to faceで向き合わざるを得ない状況におかれるのが一番だからだ。

僕は前職での入社当初、こんな職人気質の人ほんとに存在するんだとか理屈が全く通用しない相手を目の前にして足がすくんだのを覚えている。

自分は会社員であるのに会社に勤めず自分のスキルと名前で勝負してる人に会ったり、めちゃくちゃポジティブでめちゃくちゃ人生楽しんでて誰からも愛されるような人にも会った。

例に挙げたような人達はいままで僕の近くにはおらず、想像もついていなかった。

でもそれを知って体感できたおかげでほんと世界は広いなあと実感することが出来たし、好奇心も多いに増した。

だから、今まで触れたことの無い価値に触れることにより自分が生きる世界の可能性を知ることが出来る。可能性を知った者は許容する器が大きくなり、選択肢が増える。それにより可能性が広がるのだ。

そしてそうした価値観のるつぼの中に居ると、自分の感性も研ぎすまされる。今まで自分が持っていたステレオタイプはただのステレオタイプであり、世の中には他にいろんなおもしろい例がある。

その事実を前に自分はどうしたいのか?どう生きていきたいのか?どうありたいのか?そんな問いが現実的なものとなり自分に突きつけられるこれは長期的に見てとても良いことだ。
このように豊富なインプットこそが多様なアウトプットを生む。だから、インプットをロクにしていない若い時期は機会が豊富な都会に出るべきだと考える。

流動性の高さ

ここでは新陳代謝の激しさと言い換えよう。
都会はすべての新陳代謝がめまぐるしく行われている。ブランドの新業態が出ては潰れ、新しい人が入って来ては出て行き、新しい情報が流れて来てはまた取って代わられる。

そんな都会に居ると常に刺激にさらされることになる。また、自分の分散された興味の釣り針にどんどん獲物がかかっていくだろう。ここでも自分の可能性が刺激され、拡がっていくだろう。

田舎の良さ

もちろん田舎にも良いところはたくさんある。時間はゆったり流れているし、人の関係も都会ほど希薄ではないのかもしれない。
しかし、田舎の世界は狭い無限の可能性を秘めた若者がこれから生きていく場としては適さない。お勧めしない。

 

改めて地元に帰ってきて

以上の理由で僕は、若い人は特に都会に出るべきだと考える。

そんな僕は今回地元に帰って来て感じるのは、一種のフラストレーションだ。
このままじゃいけない、全然ワクワクしない、自分はもっとワクワクする環境に行きたいというような。級友は良い人ばかりだし先輩もすばらしい方々ばかりなのだけど、だからここに住む理由にはならない。

多分元々僕の全ての行動のモチベーションの源泉は、このフラストレーションにあるのだろう。確かに昔からずーっと地元を出たいと思っていた。

高校からはいかに地元を出るかの手段として大学受験などした覚えがある。就職活動も然り、今回も然り、だ。
今回に関しては地元の域を超えて日本自体が持つどうにもならない閉塞感に辟易し出るようなもの。もしかしたらこれの繰り返しなのかもしれない。

でも、自分の源泉のすべてはそこにあるとわかった時点でそれは避けようがない。なのでこれからもこの自分のどうしようもない性質と共に生きていけたらと思う。僕はそれだけでも楽しいし、幸せなのかもしれない。

 

 

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