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2013-06-16

Twitterの使い方をいかにすべきか悶々と

Twitterに対して最近テンションが著しく低い。
僕の今の使い方だが、いきなり書いておくと完全なる短い思考の垂れ流しでしかない。

自分にとって自分のツイートはそれ以上でもそれ以下でもない。他人を意識などしていないし、ましてやTwitterでなにかをしようという気はさらさらない。

今までの使い方

ただあまりに長い間思考の垂れ流しとして使っているので感覚的にTwitterにまで脳みそが拡張している。思ったことすぐつぶやいてしまう。これはそれが理由である。

そしてそういう途切れ途切れの思考は論理もへったくれもない。コンテクストもなにもない。ただのそのときそのとき頭をよぎった破片だ。それにほとんど意味はない。特に他人にとって。

使い初めのときから徹底していたのは、リアル友達とはフォローし合わない。ということだった。今リアルで知り合ってフォローし合っている人は、それでもネット上でつながっておきたいと思えた人のみだ。

リアルでつながると僕の場合は多大なるリスクがつきまとう。

ツイート自体単なる思考の破片でしかない。それをリアルの友人で、かつそんなに関わりがない人達に、すべて真面目に本気で受け取られてしまうようなことがあると激しく誤解が生まれるからだ。だって僕なんかいい加減な人間なので、頭の中半分ネタですわ。ほんとに。申し訳ない。

なので今までは繋がっていなかった。ほとんど。幸いにもその時代は周りもTwitterはあまりやっておらず、アカウントがあってもROM専ですらなかった。友達がやっているというからアカウントだけ作っておこう。それだけ。

だから僕も安心して自分の思考をぶちまけることができていた。

その牧歌的な時代には僕はTwitterで会った人と友達になったり、就活なるものもそういうやり方でやってたりと、恩恵を多分に被っていた。あのときtwitter使ってなかったら僕は今ここに居ない。

そのときは周りにこういう風に使っていると言うと、えー信じられない、というリアクションが返ってきていたものだ。

大衆化と自分への影響

ご存知の通り、もうすっかりTwitterも大衆化した。以前活発にやっていた人が飽きてつぶやかなくなったり、ROM専ですらなかった人々が知り合いをフォローして、かつつぶやいたりしてみている。そんな時代になったようだ。はやいもので。

そうなるとジャカルタでも多くの人がTwitterをやっていて、僕のアカウントもフォローしていたりリストで見ていたりしてみられているような状況になった。そこからだ、テンションが下がり始めたのは。驚く程の急降下を見せたのだった。

結局先ほど言ったように、僕の使い方はリアルでは相応にリスクを伴う。なんせどうでもいい思考の破片、いや、もはや思考ですらないようなこと。僕の頭の中のどこか彼方からたまたま引っぱりでてきたことレベルのことがつぶやかれる。それを見られる。

で、まあ僕が新参でガキンチョで無知であるのも相まってそのレベルのツイートを半ば無意識にしてしまう。そしてここからが大事なのだが、知らないうちに誰かに不快な思いをさせてしまう。知らないところで何か良くないことが起きる。

フォロワー数多く影響力があるのだから発言には責任を伴う。そう言う人もいるが、そんなのTwitterに関しては知ったことではない。なんせ元々先述したような使い方をしているのだ。

それでたまたま興味を持ってくれた人がフォローしてくれている。僕も同じだ。同じように、興味深そうなツイートする人をフォローする。別に強制力はどこにも働いていない。それだけである。

その割にそういう、僕も知らない、しかしわりかし近くに居るかもしれない人々から圧力を感じるようになった。特に最近。

それは僕にとっては寝耳に水だ。ただ彼らには嫌ならアンフォローすればいいという言葉は通じない。

それが匿名アカウントの誹謗中傷アカウントならまだいいのだが、リアルに存在する人の普通のアカウントだったりするので怖い。普通の人が割と怖いこと言ってくるこの恐怖感、わかるだろうか。普段普通な人がいきなり不快だとかふざけんなとか言ってくるこの恐怖感。多分リアルではそんなことない。

もちろん僕も人を不快にさせるのは絶対に嫌だ。なので何か指摘いただいた際は謝るか、納得いくまでリプライで質問している。後者の場合、必ずと言っていい程疑問は解消されないのだが。だがいちいち、これは世間的に適切な表現だろうか(もちろん最低限はクリアーした上で)、これは誰かの心を傷つけないだろうか。元々コンテクストもなにもない場でそういう気遣いも難しいが。最低限のネットリテラシーは守ること前提。

なぜ今までTL去らなかったのか

今まで、それでもTLを去らなかったのはここで繋がっておきたい人がたくさん居るから。そして自分の思考発散の場であるから。

誤解を招くかもしれないが、ツイートを楽しみにしてくれているかどうかは一切関係がない。完全に自分のためにやっているのだから。子供の論理かもしれないが、まあネットだからね。

ただそろそろ自分が行動を変えなければならないのかなと思う。嫌だけど。相手は言っても変わらないし、そもそも彼らはネットなるものに慣れていないので理屈は理解できない。不毛な争いが増えるだけだ。もうそれには飽き飽きだ。

昔バリバリつぶやいてた日本の友人も最近はアカウント名変えたり、画像変えたり、完全にPathに移行したりしている。リアルでのつながりが増えてきて窮屈になってきたのだ。

ということで、今の大事な人達とのつながりを保ったまま、自分がストレスフリーであり、かつ他者からのこの圧力を0にする使い方を模索しようと思う。

結論はなにも決まっていない。なのでこの記事自体自己満足で他者になんの価値も生んでいない。でもまあこのブログも個人ブログだし自由なので記録しておく。記録しておかないと忘れちゃうからね。

ただ確かに言えることは、他人に叱られないように気にして書いてある文章なんぞおもしろくもなんともないし、少なくとも自分にとってそれは書く価値がない。ということ。まあ若いだけかもしれん。

戯言でした。

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