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2013-06-06

否定に対してどう向き合えば良いのか

ネット上で相手を否定することはかつてないほどに容易である。その割に否定されると顔真っ赤にして反論したくなる。

かくいうぼくも否定されると、オメー人を否定するくらいなんだからそれ相応の論拠があるんだろうなーオイと、思わず顔真っ赤にして反論しようとする。

だがだいたいコメントか Twitterという100字ちょいのもので聞いていくと全く論拠になっていないことがほとんどなのでさらに顔真っ赤になるという悪循環に陥る。

まあテキストなんぞ書き手の意図通りに伝わるのがとても難しく、読書行為そのものも誤読してなんぼだと思っているのでしょうがないんじゃないかとか思うが後者に関してはまた別のお話。

否定に対する唯一の答え

僕は否定に対して必死に拒絶してしまうのだが、それはひとえに、自分の存在が否定されてる気分になるからだ。このブログも僕の個人ブログであるし、 Twitterも顔写真出している。

そこで、何も知らないくせにえらそうにしてんじゃねえという論拠不明の感情的否定をされると自分が本当に目の前で否定されているものと疑似体験してしまうのだ。これはおそらく否定している側には1ミリも伝わっていない。

それが重なっていきなりリアルの、しかも面識が全くない人から、お前いい加減にしろよとか言われたりするとそれはもう狭い日本人社会ですし後ろから包丁でサクリとイかれてる日もそう遠くはないと感じている所存でございます。マジ勘弁してくれ。大したことかいてないのに。あ、もちろんまともなフィードバックは喜んでお受けします。

たいがい否定は否定でしかなく論理的反論ではないのでまともにとりあうべきではない。それじゃあどういう姿勢でこれに臨めばいいのだろうか。考えました。探しました。・・・見つかりました。
多くの先人ブロガー達が口を揃えて言っていることであり、もはや真理に近いとさえ思える、その答え。それは「気にしない」ことだ。

書きたいことを書き言いたいことを言え

結局いろいろ考えてみたのだけれど、自分が本当に言いたいこと書きたいことを自分のしたい表現で表現しないと何も意味がないのだ。それは自分がそれを書いている意味が皆無であるということだ。
つい最近現地採用について書くモチベーションを失っていたのもこれが理由に尽きる。いろいろあってネットの自分の言説を意外に多くの人が見てくれていることを気づかされ、それは別にうれしいのだけど、だからこれからは気をつけろよと暗示することがあったため。それで自分が書きたいように書けないのだなと思ってしまったためだ。

僕にとって文章を長文で書くと言うことは、自分の中に溜まっている何かを吐き出すこういだ。生産するとかなんとか綺麗な言葉ではなくて。だから書くときは必ず衝動的であるし、その衝動がなければ書けない。
極めて論理的に文章表現もとてもまともで理路整然と何語られている文章は好きではない。崩して崩して寄り道しながらフォントの大きさもバラバラだしでもその書いている人の「色」が出ている文章の方がよっぽど読み応えがある。「銃・病原菌・鉄」でお馴染みジャレド氏の文章よりも「利己的な遺伝子」のときのドーキンス氏の文章の方が好き。読む本としては両方好きです。

あんまり自分語りすると特定されるとか関係各所に気を使いながら内容書いた方がいいとか、文章も差し障りのない文章にしなければいけない。大人になれよ。な。というのははっきり言っていやだ。賛同できない。それじゃ書きたいこと書けないのだ。
それを除いて論理的論根拠などなく、おもちゃ屋さんでこれ買ってくれなきゃ帰らないー!と駄々をこねている子供の如く風の如し。

僕のはブログは、抑えてはいたけれど、それでも自分の物語ベースである。どうあがいても自分の話ベースになってしまうのは、大学生一年生のころに友達に誘われてmixi(笑)の日記でひたすら自分語りをしていた名残があるからだろう。僕にとってはあそこが出発点であり、今思うと自分のサークルの先輩後輩友達に向けて自分語りをこのようにしていたなんてみなさんに支えられて僕は生きています。自分語りでないと個人ブログはおもしろくない。ハウツーブログやテック系メディア等は違うと思うけど。

否定への免疫力

こういう否定に対する免疫力は自分のためになっていたりする。僕もネットでの否定に関してはだんだん厚かましくなってきた。
というのも僕も元々否定になれていた人間で、ネット上で顔の見えないしかも会ったこともない人に知ったように否定されるのが言いしれのない恐怖感に繋がっているというのがその実だったのだ。
中学の時部活動では今やったらチーム内でお互いに罵倒し合うという教育方の元育ち、新卒入社した場所では「人は否定されて否定されてどん底まで行ってから這い上がってきた奴が強くなれる」という蟲壷まっつぁおの環境だったのでリアルでは相当ずぶとい。

否定に対して自分の心に届く直前で薄いバリアーを張っておくと落ち着いて対処できるし、ひとりの人間としてそのスキルは、今後生きていく上で大事と思っている。なのでこれも人生経験のうちである。

ほんとに、なんといえばいいのか。世界はどうでもいいことで回っている。僕自身もこんな雑記を張っておくとこんな戯言を書きたいくらいなので中身は相当どうでもい人間だ。まあだいたいどうでもいいことで、なんかあってもだいたいなんとかなると思っている。
なのでこれからは自分のことを棚に上げて否定にビビらずどんどん厚かましく書いていこうと思う。という第一歩のお話でした。

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