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2012-11-11

現地への傲慢さを捨て謙虚たれ

日本人を出迎えるときは決まって日本食料理屋を選ぶ。

というのもさすがに屋台連れて行ってお腹壊すといけないし、あちらも普段日本食食べてないだろうと気を遣ってくれてそうなる。ただ、タクシーの運ちゃんですら知るように、ジャカルタには無数の日本食がある。例に漏れず僕らは日常的に食べているのだが。

彼らのバックボーンは様々だがここで働く日本人に興味を抱いて来る人も多い。彼もそんなひとりだった。

 

ここで働いていて大変なことはなに?彼は口火を切った。

僕らは得意げに言う。現地の人が仕事が遅い、できないから一緒に働くことが難しい。言ったこともやってくれないし、それでお客様に迷惑をかければ自分の責任となる。

度々こういう会話は繰り広げられる。僕がこちらに初めて来た時もそうだったが、こういう話はまだジャカルタで働いたことが無い人にとってはとても目新しい。新興国対日本人というわかりやすい構造でおもしろい。

僕もいつものように同じようなことをドヤ顔で彼に話していた。大変なんですよ、でも若くしてこういう仕事任せてもらえるのは新興国ならではですね、と。覚えてはいないけどそういうことを自分なら言ってそうだ。

しかし話していて気付いた。これは傲慢以外の何者でもない。

 

 

とっても根本的なところから話すと、僕らは外国人労働者だ。政府が規制を強めれば僕らくらいの年齢と年収だとすぐに労働ビザが下りなくなることもないこともない。

それにそもそも僕らがやっている仕事は元々彼らがやるはずである仕事だ。なぜならここは彼らの国であって僕らの国ではない。この国にとって僕らは居なくて済むのであれば、いないに越したことはない。僕らは逆立ちしても彼らと全く同じ現地人にはなれない。

ましてや僕みたいなスキルもないのに管理職として仕事をして彼らの何倍もの給料を貰っているような人は邪魔でしかないだろう。

そんな僕らが彼らを見下すことは、自分は仕事ができませんと公言することだ。そもそもはき違えている。

 

それに僕らのようなまともに仕事ができないのに管理職になる人の下につく彼らはとても不憫にすら思えてくる。

もし優秀なマネジャーにつけば成長するかもしれないし、教育できれば仕事がもっともっとできるようになるかもしれない。もちろん、文化・習慣の壁はあるので日本的な仕事全般ができるようになることはないが。飲みなど含めて。

ただ僕らはこういう会話をしているうちは結局何者にもなれないし、仕事もできるようにならない。一緒に働く彼らからも理解は得られないだろう。

もちろん事実としてなかなか仕事が進まないこともある。それがやはり彼らの習慣によるものだったり。賄賂もたくさんある。

その事実を踏まえていかに良い仕事をするのか。それが僕ら外国人である日本人の考えるべきことなんじゃないか。それができればこの国でこのポジションで働くべきではないんじゃないか。

 

大きな自戒を含めてそう思ったのでした。

 

 

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