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2012-08-18

24歳になりました。

気がついたら24歳になってしまいました。休日で読者も少ないでしょうし、せっかくなのでなぜ24歳でこんなことになっているのかwを綴りたいと思います。

人生に絶望した22歳

思い返せば大学4回生のころ。特に大きな病気をすることもなかった自分は病気にかかりました。そのおかげで1ヶ月くらい入院して全身麻酔の手術しました。

あのとき負のオーラ渦巻く病室で、「なんで俺がこんな目に合わないかんのだ」と思わず感じしていたことを今でも思い出します。ひたすら寝たきりで時間だけが過ぎていくベッドの上でひたすら考えていてでた結論は、「人間死ぬ時は死ぬし病気になるときは病気になる。それは誰にも予想できないし、明日そうなるかも」ということでした。

なんかほんとにあのときは人生終わりだと思っていました。再発するとか言われるし、入院で回りに迷惑かけるし、何よりベッドから寝返りも打てない、術後で吐き気etcで精神的に滅入っていました。多分人生で一番滅入っていました。

そこからは狂ったように本を読みました。それまで参考書くらいしか本を読まなかったのですが、明日死ぬくらいなら今のうちにもっと色々知りたいと思ったのです。金もなければ身体も動かない自分がとれる方法は読書でした。そのときから卒業まで200冊くらい読んだ気がします。我ながらあのときのペースは人生で最速でしたw

そんな中就職もせないかんということで独り上京して会社探していました。狙いはベンチャーと呼ばれる会社。病気して変な気づきをしてしまった自分にとって、成長もしていないし、上が詰まっていて若手にチャンスが回ってこなさそうな大企業は行く気になれませんでした。

そのときは自分で食える腕をつけたい一心で、さっさと商売を学べるところを探していました。早く自分で稼ぐ方法を身につけてこの閉塞感を脱したかったのです。あとずっと日本に居るわけにもいかんだろうし、海外に行けたらなおいいだろうと、そこはほわっと考えていました。

そんな中内定をもらったあるベンチャー企業に入社しました。そこは既に海外進出もしており、海外で仕事やるチャンスもあるとのことでした。

そのときは自分で稼げるようになって日本でくすぶっている若者に希望を与えたい、ロールモデルになりたいという想いがありました。我ながら夢想家なのでこういうことをはずかしげもなく平気で言っていましたw

日本で働くことに絶望した23歳

そこでは典型的な日本の職人気質の人々と働きました。職場環境はいわゆるブラックと言われるようなところでした(ベンチャーでブラックに働いてないとこはないと思います)。

最初の3ヶ月ほどは現場のアルバイト達から精神的プレッシャーにさらされ、胃液を吐きながら仕事していましたwその後も何度か炎上や修羅場を経験し、そのおかげで今大抵何があってもどうも思いません。ただ同期は鬱病になって辞めたりしました。

そこでは最初から現場のマネージャー職をやらせてもらいました。挫折も繰り返し、めまぐるしく毎日が過ぎていきました。しかし、一方で恐らく僕はどんどん駄目になっていきました。仕事人としても人としても。くすぶっている日本の若者のロールモデルに、とか言いながら一番自分が駄目になっていてもう人としてどうなんだという感じだったと思います。

そしてモノが売れない日本で新たなマーケットを見いだしてビジネスをやる。そのビジネス下においてはコストを削減し、体力だけで乗り切る局面が多くありました。その現場には疲弊するメンバー、お客さんも従業員も誰も幸せになれないという現状が横たわっていました。へとへとの従業員がまともな商品を作れるわけがありません。

儲けるのが難しい日本で儲けようとしたらこういうことになるの?これってやってる意味あんの?んじゃなんで俺はこれやってんの?

そして友人に言われた言葉。「最近お前思考停止してない??」

そして日本を出る決意をしました。今でもあの言葉は、思考が停止してまともに考えることができなくなった僕に対する最良の言葉だったように思います。ひたすら感謝です。

ジャカルタで就活

そこからは予想以上のスピードで事が進んでいきました。
チャンスは日本にはないかもと絶望していた僕が、国外に活路を求めたのはある意味必然だったのかもしれません。

元々猛烈に海外で働きたいと思っていなかったのでなんですが、会社でいけないなら自分で行ってしまおうという理屈もありました。

ただ職歴も1年しかないし、英語もペラペラではなかったのですがかのもりぞお氏に出逢いチャレンジすることにしました。

以前書いたように、無事就活自体は成功に終わり今に至ります。

今のところジャカルタは景気はとても良いし、人もみな基本的に明るくて純粋に楽しいです。渋滞の脅威など色々不便な部分もありますが、それですらも愛おしくなりますw所属しているのもこの国の成長産業でとにかく明るい話が多いです。会社の人もシニカルでクールだけど胸に熱いものを持つ人で、どこかシンパシーを感じます。

なによりこのとても恵まれた環境で24歳を迎えられることを幸せに思います。環境は申し分ないので、あとは粛々と自分が努力するだけだと思っています。機会はあってもやはり自分で掴みにいかなければ話になりません。そして偉そうなこと言うてますがまだまだ若輩者で、ただのクソガキなので。

当面は会社で専門性と仕事の能力を磨き、インドネシア語も勉強して、あとは個人でビジネスの種をちょいちょい蒔いていけたらなあと思います。やはり最初に言っていたように、僕は自分で稼いで食っていきたい。その場が国内からアジアに拡がっただけだと考えています。

そして最初の想い、閉塞した若者のロールモデルとなるという想いもまだ忘れていはいません。当初の計画の斜めをいっていて形は違えど、なんとなく見えてきました。計画はどんどん斜め上に行くものの、こういう想いってそうそう変わらないもんなんだなあと2年越しに思いました。

そんなことを思いながら24歳を過ごしました。

勢いに任せて書いたので読みにくいところもあるでしょうが、せっかくなので推敲もせずにリリースしてみました。

休日の時間つぶしにでも読んでいただけたら幸いです。

最後になりましたが関わってくれた全ての人に感謝感激雨霰です。これからも何卒よろしくおねがいします。

Keep Rockin’! BRO!

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